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正しい歴史認識、国益重視の外交、核武装の実現
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満州事変に対する米国の制裁はなし・英国は「反国際連盟政権」や「極東の平和」や「共産主義への嫌悪」などのために容認・『世界政治と東亜』G・F・ハドソン著18(最終回)

 国際連盟に加盟していない米国は、制裁を適用すべき条約上の義務があったわけではなく、反日的な叫びは主として同国内に根を下ろした親支感情から起こったのであった。
世論の圧力が強まれば、米国政府は日本の行動に対して外交上かなりに強硬な反対で押し進む気配に見えたが、スティムソン氏その人が行った自己の政策の説明から見て、何等か真実の強制手段が考慮されていたとは思えない。

一方、日本がジュネーブにおいて侵略者と宣告されれば、連盟規約第16条を適用すべく義務付けられていた英国は、外交的干渉の意思において米国ほどにも進んでいなかった。

奉天事件(満州事変)の直前に成立した英国の挙国一致内閣の閣員は、主として国際連盟思想に無関心か反対かの人々であったが、この消極的態度は、日本に有利に作用したところの2つの政策要因――欧州問題への専念と、共産主義の恐怖――を前面に押し出した。


 英国が1907-18年当時の日英同盟から得た最大の利益は、この同盟のお蔭で、英国海軍当局がその海軍を欧州の諸海洋に集中することができたこと、その大きな部分を太平洋――それは全然別個の基地及び補給の組織を持つ――に配置する必要がなかったことである。
同盟条約廃棄の後もなお、太平洋に別個の艦隊を配置する必要は日本との友好関係によって省き得るものと期待され、東京との親善関係は極東における防備薄弱の英国領土や英国権益に対する最上の保障だと思われていた。
それだから英国は決定的な係争問題において日本に逆らってその怨恨を買うことは極力避けようとしており、英国権益を害することの最も少ない方面への日本の膨張は容認しようとする傾向が強かった。
米国はその全海軍を何時でも太平洋に配置する用意が(少なくとも去年までは)あったので、この種の考慮に煩わされるところがなかった。


 共産主義に対する嫌悪は英米両国政府に共通した感情であったが、それはワシントンよりもロンドンにおいて一層強力な政策決定要因として作用した。
英国資本は、米国資本よりも、ロシアにおいてボルシェビキの償還拒絶と財産没収から受けた被害が大きく、また、1918-20年の反ボルシェビキ干渉にも深く関係しており、更に英国は1925-27年の支那における共産主義者の宣伝の特殊の目標に選ばれたこともあり、更にまた印度の不穏状態からも、アジアの何処かでソ連の勢力と権威が増大しはしないかと酷く神経を尖らせていた。
支那における共産主義の差し迫った危険は1927年に取り除かれたけれども、支那奥地には共産軍の幾つかの細胞が残っており、ソビエトの最も有力なもの――江西のソビエト地域――は南京に近接して危険を感じさせていた。


大陸における日本勢力の崩壊――それは日本がもし対外政策において非常な屈辱を蒙り、その結果国内闘争によって内部が崩れれば起こらないとも云えない――は、満州及び内蒙におけるソビエト勢力の優越を招来し、ひいては支那本土における共産主義の復活を齎さないとも限らなかった。
そうした諸発展は正確に測定し得る事柄ではなかったが、とにかく日本を酷く弱めることは極東への共産主義侵入への危険の増大を内包すること、そして既に20年間も日本の勢力範囲と見做されていた1地域が日本軍隊によって占領されることは、日本に強圧を加えることよりも極東の勢力均衡を乱す程度が少なかろうということが漠然と感じられていた。

極東において1度大戦争が起これば、単なる旧状回復などはもはや可能ではなく、日本は勝たなければ倒れねばならなかった。
従ってそこには、連盟規約を擁護し満州を支那の主権に復帰せしめんとする闘争が却ってボロジンとガーレンの漢口への復帰の途を開くというような可能性もあった。

P213-214
『世界政治と東亜』G・F・ハドソン著(1939年)








当時、満州事変に関して、米国は日本を非難したものの、制裁を科すような動きはなかった。


英国に至っては、


?1931年の柳条湖事件に端を発した満州事変の頃、英国では国際連盟思想に無関心か反対かの人々が内閣を構成していた。

?日英同盟が解消された後も、東アジアの平和と安定のため、英国は極東における日本の役割に依存していた。

?英国には共産主義に対する嫌悪が強く、アジアの共産化に酷く神経を尖らせていたため日本を弱めるわけにはいかなかった。


などの理由から事実上は容認していた。



「満州事変が日本の侵略戦争の始まり」などと厳しく非難されるようになったのは、戦後、東京裁判からだ。

GHQは、支那事変や対米英蘭戦争を日本の侵略戦争としたかったのだが、いずれも日本の自衛戦争だったことが明確に証明されてしまうため、日本を少しでも悪者にするためには満州事変など出来るだけ遡って粗捜しをせざるを得なかった。




■関連記事

満州住民は、支那人も蒙古人も朝鮮人もロシア人もその他外国人も、日本の支配を希望・歓迎・支持!
【満州事変】(新聞記事はから満州事変における日本の行動が支持されていたことが判る)
http://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/7093534.html






この本は1940年に翻訳されたので少々読み難かったと思う。
ただ、この本は19世紀から満州事変辺りまでの状況を非常に詳細且つ的確に記しているように思える。

ちなみに、翻訳者は、尾崎秀實ということだ。
尾崎秀實というのは、共産主義者で、「ゾルゲ事件」で逮捕、絞首刑になったあの尾崎秀実で間違いないだろう。


以上、18回に亘って『世界政治と東亜』G・F・ハドソン著を紹介した。



次は、『アメリカの鏡・日本』ヘレン・ミアーズ(1948年)著を紹介していきたい。

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