アメリカと、日本の外務省は、来週の6カ国協議で北朝鮮が核施設の停止と査察を受け入れた場合、エネルギー支援、米朝・日朝の国交正常化のための作業部会の設置などを行なう見通しだと言う。
また騙されるのか?! 「核放棄具体策 北、協議応じる意向」 「エネルギー支援、米朝・日朝の国交正常化のための作業部会の設置…」
http://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/9082302.html
北次第で限定支援:外務省首脳――ハァ?また騙されるのか?!?
http://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/9118780.html
しかし、ちょっと待て!
今まで何回騙されているんだ?
いい加減に学習しろよ!
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【安全保障新時代】第12部 眼前の危機
2006/12/16, 産経新聞
「核保有国」への野望
■国際社会欺き使用への道着々
北朝鮮で好んで使われる言葉に「代を継いで」という表現がある。故金日成主席が抱いた「核保有国」への野望は息子の金正日総書記へと引き継がれ、今や事実上、成し遂げらた。半世紀以上におよぶ野望の歴史をひもとくと、国際社会を欺きながら核兵器の開発を続け、使用へと連なる道筋を突き進む北朝鮮の姿が改めて浮かび上がる。
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核保有への野心の端緒は朝鮮戦争(1950~53年)の当時とその直後にまでさかのぼる。
北朝鮮は56年3月、ソ連のドブナ核研究所の創設に参加するための協定をソ連との間で締結する。これが核技術者育成の始まりで、多くの研修生がソ連へ送り込まれた。59年には原子力の平和利用協定をソ連、中国と結ぶ。
朝鮮戦争の休戦協定締結(53年)からさほど時を経ずして、なぜ金日成首相(当時)は核に触手を伸ばしたのか-。
背景には、50年11月にトルーマン米大統領が朝鮮戦争の戦局打開に向け「朝鮮半島で原爆を含むあらゆる武器の使用を考慮している」と発言し、米軍のマッカーサー将軍が原爆使用の許可を求め、標的のリストを提出したことがある。戦時下における「米国の核の脅威」に対する認識が核開発へと向かわせた、とする見方は少なくない。
97年に 黄 長 火華 元書記とともに韓国に亡命した金徳弘・元朝鮮労働党中央委資料研究副室長は後に、「金日成は『米国は核兵器を持っているためわが国を脅かす。われわれも核兵器を持たねばならぬ』と強調した」と証言。研究者のソ連派遣もこのためだったという。金徳弘氏は本紙(99年4月16日付)にも「核開発は朝鮮戦争の教訓で、米軍と独自で戦える戦力として金日成が60年代から始めた」と明らかにしている。
核開発の基礎は、戦時中に韓国側から連行した科学者や、50年代末に北朝鮮に帰国した在日朝鮮人の科学者、ソ連留学研究者らの知識と技術によって築かれる。日本の朝鮮半島統治下で京都大学を卒業した李升基博士らも含まれていた。
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北朝鮮は61年の第4回労働党大会で「長期的展開に立ち自力で核エネルギー開発の科学的研究を進める」と決定し、当時対立関係にあった中ソを巧妙に利用し核開発路線を歩み始める。だが、金日成主席は「われわれは核(兵器)を持つ意思も能力もない」(72年6月の談話)と一貫して否定した。
平壌北方の寧辺に5000キロワットの第1号実験用原子炉と小型の第2号原子炉を着工したのは、79年から80年にかけてのことである。90年に自民党の金丸信元副総理と社会党の田辺誠副委員長が訪朝した際、金日成主席はここでも核兵器開発を否定するが、その2年後にはプルトニウムの抽出を公式に表明している。
「米国が核兵器の撤収を始めれば核保障(査察)協定に署名する」(91年11月)。共産圏で体制が続々と崩壊し国際社会での孤立感が深まると、今度は核問題を対米交渉のカードとして利用し始める。2年後、「ありもしないはず」だった過去の核兵器開発が明るみに出る。韓国国防白書が「83~88年に北は起爆装置実験を70回余り実施した」と指摘したのだ。
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「96年ごろ、軍需担当の全秉鎬書記が黄元書記にプルトニウム型核爆弾を5個保有していると言った」。金徳弘氏はこう証言している。金日成主席の死去(94年7月)の3カ月後、米朝はジュネーブでの枠組み合意に至るが、この時すでに核爆弾を保有していた可能性もある。
今年10月の核実験は、少なくとも米朝枠組み合意以降の12年間、国際社会を欺き時間稼ぎを重ねた結果だ。核開発凍結の見返りとして8年間にわたり、毎年50万トンの重油を手にもした。
北朝鮮はもはや、「開発」に代わり「使用」をカードとしてちらつかせ始めている。東京基督教大学の西岡力教授は「北朝鮮は使用を前提として核を交渉に使おうとしている」と語る。北朝鮮にさんざん時間稼ぎをされた教訓が生かされないまま、6カ国協議は再開される。
(名村隆寛)

