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戦犯合祀は官民一体作業・大原康男・國學院大學教授「明日への選択」平成11年7月号より

これまでに、元戦犯が靖国神社に合祀されたことは、当時の日本国民の総意によって制定された法律に基づいていたことの説明がなされた。


国民の総意による合祀の基準となったキーワードは、「戦争による公務死者」であった。


元戦犯が靖国神社に合祀された背景や経緯から判ることは、富田メモの最も重要な部分である以下の


 「私は 或る時に、A級が合祀され その上 松岡、白取までもが、

 筑波は慎重に対処してくれたと聞いたが 松平の子の今の宮司がどう考えたのか 易々と

 松平は平和に強い考えがあったと思うのに 親の心子知らずと思っている」



は、到底、昭和天皇の御言葉ではないということだった。



この辺のことを裏付ける大原康男教授の分かり易い寄稿があるので、参考までに掲載しておく。



――――――――


戦犯合祀は官民一体作業

・・・
 戦後はそれがどうなったか。陸海軍省は廃止され、靖国神社は民間の一宗教法人となり、しかも占領中はGHQ は靖国神社に対して大変厳しい目を向けていました。ところが、占領が終わると同時に、遺族会や生き残った戦友たちから、国の為に亡くなった戦没者を早急に靖国神社にお祀りすべきだという議論が沸き起こった。 しかし、彪大な数になる支那事変や大東亜戦争の戦没者を選考するなど、民間の宗教法人となった靖国神社には到底不可能なことです。それで、陸海軍省の後身である第1、第2復員省に始り、そこから復員業務と遺族の援護業務を引き継いだ厚生省が、この問題を担当することになったわけです。


 厚生省は昭和31年、「靖国神社合祀事務に関する協力について」という通達を出して、都道府県が御祭神の選考を行うこととなった。そして、厚生省と都道府県が選考した御祭神を「御祭神名票」というカードに記入して靖国神社に送り、それに基づいて、靖国神社は御祭神を合祀する。戦後は、こういう一種の「官民一体の共同作業」によって、靖国神社の合祀がなされてきたのです。


 もう一つの問題は、支那事変から大東亜戦争にかけては、日本は歴史上はじめて総力戦を経験したわけですから、以前のような選考基準では範囲が狭い。それで、御祭神の範囲を広げざるを得なくなってくる。しかも、選考の基準にはきちんとした法的根拠がなければならない。そこで、「戦傷病者戦没者遺族等援護法」と「恩給法」のいずれかに該当する、という基準を立てた。

 その「援護法」と「恩給法」自体の適用範囲が広がります。戦前のように軍人・軍属やそれに類する者だけではなく、例えば徴用された船舶の乗組員であるとか、空襲警報下に避難誘導や防火に努めた警防団員だとか、あるいは国民義勇隊の隊員なども含められるようになった。  そうしたなかで、いわゆる戦争犯罪人として処刑されたり、獄死されたり、あるいは裁判中に自決された方々も、「援護法」と「恩給法」の対象のなかに入れるべきだという議論が高まり、昭和28年8月に成立したこの2つの法律の改正によって、戦犯の遺族にも戦没者遺族と同様に遺族年金、弔意金、扶助料などが支給されるようになります。しかも、講和条約発効後も収監されていた有期刑や無期刑の方々は、昭和33年には全員が釈放され、そうした元受刑者本人に対する恩給も支給されるようになった。

 そもそも戦犯なるものは、日本から見れば、日本が主権を喪失していた時代に日本国家の意志とは無関係に連合国側が一方的に裁いたにすぎない。戦後の日本政府は、この点をきちんと踏まえていて、いわゆる戦犯に対して、国内法上の犯罪人という認定は一切していない。

 例えば、恩給法を見ますと、恩給権の消滅事由のなかには、「本人の死亡」と並んで「懲役乃至は禁固に処せられた者」という事項もあるのですが、先に述べたように、戦犯は恩給権を失ったわけではない。また、「懲役乃至は禁固に処せられた者」は、選挙権や被選挙権も当然停止されますが、いわゆる戦犯は現実には巣鴨プリズンの中で選挙権を行使していました。つまり、日本政府は戦犯を占領中から犯罪者としては見ていないのです。また、刑死した人々も同様で、その死はあくまでも「法務死」と呼ばれています。

 このような経緯があって、BC級戦犯として亡くなった方の「祭神名票」が昭和34年から靖国神社に送られ、その年に最初の合祀がなされる。A級戦犯については、昭和41年2月に「祭神名票」が神社に送られました。刑死した方7名と、未決で巣鴨収監中に亡くなった方と受刑中に亡くなった方7名の計14名です。ただ、その頃ちょうど、靖国神社の国家護持の問題が盛んに議論されていた頃であったことも配慮してでしょう、すぐには合祀されなかった。ようやく昭和46年になって崇敬者総代会で合祀が了承されますが、合祀が承認されても直ちには合祀せず、結局、昭和53年の秋季例大祭の前日の霊璽奉安祭で合祀されるということになり、翌54年4月19日、そのことが新聞報道によって明らかになり、国民の知るところとなった。


  こうした一連の経緯を考えますと、戦犯の合祀が歴代政府の厚生行政の一環として行われたことは明らかです。しかも、国民の代表である国会が行った恩給法や援護法の改正に従って、その対象とされた戦犯の方々を、厚生省と都道府県が協力して「祭神名票」として靖国神社に送り、靖国神社はそれによって合祀した。
・・・

「明日への選択」平成11年7月号、大原康男 國學院大學教授 より抜粋。

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