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英国は、1900年10月16日、ドイツと覚書の交換により、『両国が勢力を行使し得るいずれの地においても』支那の領土保全と貿易の門戸開放とを維持するために両国は協力すべき旨の協定を結んだ。
然るに、翌年の初め英国が満州における露国の行動に対して、共同抗議をなさんことを提議するや、ドイツは該協定が支那本土のみに適用せらるべきもので満州には適用されないと主張した。
1901年3月15日、ドイツ宰相は議会において声明して言った。
『およそ満州に起こる事件ぐらい吾々に無関係なものはない。そこには現実的なドイツの利害関係は1つもない。我々はただ支那におけるドイツの権益を監視するだけである。英国の権益を監視することは英国に任せておく』。
(中略)
日本においては、外交政策の主要問題に関する意見が2分されていた。
一方の有力者たちは、露国勢力と対抗するために欧州に同盟国を求むべきこと、そして斯かる同盟は英国を措いてないことを強硬に主張した。
だが、日本の最も卓越した政治家伊藤公の率いる他の1団は、日本は露国に挑戦し得るほど強大ではなく、英国との同盟は安全よりはむしろ危険を多く包蔵し、日本の執るべき道は、満州における露国の覇権並びに朝鮮における日本の覇権という原則の上に立って露国と妥協することにあると主張した。
これに基づいて露国と協定を結ばんとする努力が繰返されていたが、一向に成功しなかったのである。
即ち日本は1898年に露国に提案し、『もし露国政府が朝鮮に関して同様の宣言をなす用意があるならば、日本政府は満州並びにその沿岸は全く日本の利害関係の範囲外と見做す用意がある』と言明した。
しかし露国政府は、満州に関する日本の態度に『大なる満足』の意を表しはしたが、朝鮮に関してそのような保証を与えることは拒絶した。
事の真相は、ロシアが、陸軍国としての日本を蔑視し、日本の歓心を買わんがために何らかの譲歩をなす必要は毫も認めなかったものである。
P108-109
『世界政治と東亜』G・F・ハドソン著(1939年)
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つまり、満州を手に入れた1898年当時のロシアは、次に朝鮮も手に入れることを十分に視野に入れていたということだ。
朝鮮がロシアに狙われていた証拠の一つとなる。
このまま日本が何もしなければ、
日清戦争→三国干渉→ロシアが満州横断鉄道の敷設権を獲得→ロシアが遼東半島を25年間租借、東清鉄道の敷設権を獲得→満州がロシアのものとなる→朝鮮がロシアのものとなる
となる予定だった。
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