Location via proxy:   [ UP ]  
[Report a bug]   [Manage cookies]                

キハ183−500番代

誕生からHET化までの7年6ヶ月


87年2月撮影の千歳空港・帯広停車のおおぞら9号

 183−500番代は国鉄民営化直前の86年8月に当時の国鉄特急色を払拭させる斬新な白色塗装、眺望抜群のハイデッカーグリーン車、将来的な最高速度120km/h対応、0番代車との混結も可能というJR化後のフラッグシップトレインにふさわしい内容で華々しく誕生しました。ここでは編成の変遷を中心に誕生からHET化までの7年6ヶ月を振り返ってみたいと思います。

 当時の183−500番代の新車登場の雑誌記事では新キハ183がどのような組成を組むということには一切触れられていませんでした。素人的には先頭車に電源機関無しのキハ183-500と電源機関付きのキハ183-1500の2種が存在したことから、<釧路・函館方>キハ183-1500〜キハ183-500<札幌方>のような形で組まれると思っていました。
 86年11月ダイヤ改正で運転が開始されたおおぞら用の新車キハ183−500番代組成車3編成は8両編成が基本ですが、電源機関の関係から<釧路・函館方>キハ183-1500〜キハ183-1500とキハ183-1500〜キハ184-0+キハ183-500<札幌方>の2パターンの組成が組まれていました。なぜ新車の編成にキハ184-0が組み込まれたのか?この謎こそがキハ183ー500番代を研究する上のきっかけになりました。


【キハ183-500とキハ184-0の関係】
 500番代車の内、キハ183-500のみは将来的な120km/h走行を考えて作られたのではなく、最初からキハ184-0とペアを組むことが考えられていたようだということが言えそうです。
 これは石勝線開業後の短編成化により、増結用中間電源車のキハ184-0が7両余剰となっており、キハ183-500も同数の7両が作られていることや、当初の500番代車製造数からおおぞら用500番代8連3本の組成を考えるとキハ182-500が1両不足するので、不足分をキハ183-500で代用したとしてもキハ182-500は予備車がないフル稼動状態になることから、おおぞら用500番代8連組成に関しても当初は110km/h運転なのでキハ184-0とキハ183-500のペアによる使用を最初から計画していたのではないかと推測しました。

【86年11月1日ダイヤ改正】
 86年11月1日のダイヤ改正よりおおぞらにて500番代8連3本が運転を開始しました(他に0番代編成にキロ182-500組み込み3本やキハ183-500組み込みの0番代編成数本あり)。先述のようにおおぞら用8連3本中の1本はキハ184-0が組み込まれたのですが、このキハ184-0はダイヤ改正直前の10月29日付けでキハ184-2を白色塗装化し、ギリギリで仕立て上げたものでした。逆に言えば500番代運転開始前に0番代の白色塗装車を営業運転に就かせたくなかったのかもしれません。
 なおこの改正後から183ー0番代に対して本格的に白色塗装化が始まりましたが、塗り替え過渡期の0番代は塗り替え前の車両と汚いマダラ編成を組んでいました。しかし、おおぞら用500番代組成車は特急の新車ということで特に大切にされていたようです。そのためか塗り替え前の0番代をおおぞら用500番代編成に連結させることはありませんでした。

【86年年末87年年始輸送】
 2両目のキハ184−0の白色塗装化は12月8日付けでキハ184-8が完了しました。これによりキハ184-0+キハ183-500組み込み編成が2本になり、数字上はキハ182-500に予備車1両が生まれたことになります。なお11月から12月までにキハ182-0の内7両が白色塗装化されたので年末年始輸送ではこれらの0番代白色塗装車が増結されたかもしれません。

【87年1月以降】
 3両目のキハ184−0の白色塗装化は1月22日付けでキハ184-6が完了しました。これによりおおぞら用500番代8両組成車3本へのキハ184-0+キハ183-500の組み込みが完了したことになります。キハ182-500の予備車も数字上は2両に増えました。この当時のおおぞらは110km/h運転なので白色であれば0番代車でも500番代編成に組み込むことは可能でしたが、私はキハ184-0+キハ183-500の間に増結で入ったキハ182-0を見たことがあるだけです。なおキハ184-0+キハ183-500の代わりにキハ182-500+キハ183-1500が入ることがありました。
 以後この体制が88年3月の青函トンネル開通によるダイヤ改正まで続きました。

【88年3月13日ダイヤ改正】
 このダイヤ改正は青函トンネル開通というJR北海道にとって歴史的ものでしたが、合わせて北斗が120km/h運転をすることになり、おおぞら用500番代フル編成と共通運用を組むことになりました。共通運用を組むに当たり、2月19日付けでキハ183-1550 4両とキハ182-550 4両の計8両が増備され、500番代7連組成車を4本作りました。この7連組成車は120km/h対応ということで編成中にキハ184-0+キハ183-500は入らず、編成の両先頭車は必ずキハ183-1500(1550を含む)になりました。以後キハ184-0+キハ183-500は0番代と組む事になりました。
 今回の増備と組成変更によるキハ182-500の予備車は2両と変わりませんでしたが、夏の輸送を前にした7月28日付けで再びキハ183-1550とキハ182-550がそれぞれ4両計8両増備したので数字上はキハ182-500は6両、キハ183-1500は7両の予備車を持つことになり、弾力的な組成が組めるようになりました。

【89年3月11日ダイヤ改正】
 この改正で北斗はキロ182のみ札幌受け持ちのまま、キハ183とキハ182が全車函館に転属になりました。合わせておおぞらとの共通運用が無くなりました。500番代組成車はおおぞら用が札幌持ちで7連1本、北斗用が札幌・函館持ちで7連3本になりました。この89年は4月にキハ183-1550とキハ182-550がそれぞれ4両づつ増備され、札サウに配属されました。当方の資料不足のため500番代予備車数は不明。

【90年9月1日ダイヤ改正】
 90年5月札幌にキハ183-1550が4両増備されましたが、9月改正からおおぞらのグリーン車が0番代ハイグレード車に統一されたため、おおぞらからオール500番代組成による速達列車専用編成は消滅しました。おおぞら編成は札幌方にキハ183-500が連結されるケースが多いものの、0番代中心の編成となりました。一方キロ182-501〜7が札幌から函館へ転属となり、北斗用グリーン車がハイデッカー車に統一され、同時にグリーン車と普通車が別配属という複雑な運用が解消されました。
 この改正から号車表示が函館方から1号車〜に改められ、85年10月1日ダイヤ改正前の姿に戻りました。

【92年7月1日ダイヤ改正】
 この改正では基本編成が6両組成に改められたため、数字上の予備車は増えていますが、増結措置が常態化していたので実体としては改正前とさほど変化は見られませんでした。なおこの体制で94年のHET化を向かえることになりました。

【94年3月1日ダイヤ改正】
 この改正で振り子式キハ281系スーパー北斗がデビューしましたが、これに合わせて北斗もスピードアップすることになり、北斗用183系はそれに合わせてスーパーとかち用のキハ182-550などをかき集めて、500番代車と550番代車に統一しました。550番代車は130km/h対応(元番号+2000)と130・120km/h対応(元番号+3000)に改造され、500番代車(キロ182ー500の内、3両は130km/h改造により元番号+2050)は120km/h車として塗装のみ変更されました。5両編成が基本となり、130km/h用組成車2本、120km/h用組成車3本が組まれました。予備車は130km/h用はキハ182-2550が7両、130・120km/h共用キハ183-4550が2両、120km/h用キハ182-500が4両、キハ183-1500が2両となっていますが、130km/h化されていない550番代車2両も94年中に改造工事が施行されています。


 HET化時点でフラッグシップトレインの座はキハ281系スーパー北斗に明渡してしまいましたが、結果的にはキハ183北斗もHET化以前よりもスピードアップされ、大進化を遂げました。一方、HET化時点では0番代を含めたキハ183系白色特急はまだおおぞらで健在でしたが、86年に国鉄最後の華として輝やかしくデビューした白色500番代の正当派編成が消滅したことに変わりはなく、私のキハ183-500への情熱もこの時点で終焉を迎えました。今後HET化した183北斗がリバイバル編成として白色化した場合には、94年以降途絶えていた私の北海道行きが間違いなく再燃することでしょう。



  • 特急北斗のページへ
  • キハ183−500北斗 モノクロ編へ
  • 国鉄末期からJR化直後にかけてのキハ82を中心とした北海道の特急のページへ
  • 北斗デジタルビデオ館へ
  • 想い出の鉄道写真館へ
  • 赤いひかり/座席特急の部屋TOPページへ