(前半の続き)
ところで、今日、私が注目したのは、この【正論】の最後の方の以下の部分だ。
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ついでに書けば、筆者は以前から河野という政治家のあやふやな歴史認識に危惧(きぐ)の念を抱いてきた。最近では昨年10月、ベトナムのズン首相を国会に迎えたとき「先の大戦で、わが国の軍政下において多数の餓死者を出したことを忘れてはならない」(10月25日付朝日)と挨拶(あいさつ)している。
≪ベトナム大量餓死の誤認≫
餓死説の起源は、ホーチミンの独立宣言に出てくる「200万人餓死」のくだりだが、ベトナムはフランスの統治下にあり、日本が軍政をしいたのは餓死が下火になりつつあった昭和20年3月以降の5カ月にすぎない。
それをフランスではなく日本の責任と言いだしたのはわが国の一部歴史家と運動家だが、ベトナム政府はその扇動に乗る気配はない。
河野議長の迎合的言動をズン首相は黙殺したらしいが、朝日紙上で話を振られた河野氏は「過去を学ばねば流される」とのたまった。河野さん、まさか基金を作って謝罪と補償をと言い出さないでしょうね。
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私は、正直言って、こんな話は知らなかった。
そこで、傷口が拡がる前に、この河野洋平の挨拶が嘘であることを説明しておきたい。
秦の説明では、不十分だ。
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こうして歴史は捏造される 2005/ 6/23 22:34 [ No.6163
投稿者 :
nmwgip
中国の例ではなくベトナムの例だが、大変示唆に富んでいるエピソードだと思ったので紹介させていただく。
高山正之帝京大学教授が産経新聞の編集委員時代、ハノイの革命博物館を訪れた際、案内のハノイ人民幹部に
「日本軍がベトナムを支配したのは昭和20年3月、クーデターを起こして仏植民軍を追っ払ってから終戦までの5ヶ月間。どうすればそんな短期間に二百万人を餓死させられたのか」
と訊ねたそうだ。それに対してハノイ人民幹部はあっさり「政治宣伝だった」と認めたそうだ。そして
「あの当時、ハノイ大洪水と干魃に交互に見舞われ、多くの餓死者が出た。それを時期的に合うので日本軍と結び付けた。ただ、南の穀倉地帯との鉄道が連合国軍の爆撃で途絶えがちだったことも確かで、だから日本にも五十万、いや五万ぐらいの責任はあったはずだ。」
以上、田辺敏雄著『検証 旧日本軍の「悪行」』(自由社)より引用。
田辺敏雄氏が精力的な検証作業を行われているHP「現代史の見直しを当然とする理由」はこちら。
http://home.att.ne.jp/blue/gendai-shi/index.html
なお言うまでもないことだが、「五万ぐらいの責任」も当然日本にはない。
それは爆撃をした連合国の責任だろう。
>インドシナ人民が餓死 (嘘垂れ流し) 2005/ 9/18 10:37 [ No.7461
投稿者 :
deliciousicecoffee
(一部抜粋)
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質問
ベトナムの独立宣言文の中に、「日本軍が北ベトナムに進駐したことにより、200万人の餓死者を出した」と日本を非難しています。そのような事実があったのですか。
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回答
正確な文面は確認していませんが、1945年のベトナムの独立宣言に、「200万人の人が日本軍の米の強制購入で餓死した」と書かれていたと承知しています。
我々は、このケースについて考えるためにはその頃のインドシナの状況を知らなければなりません。
1940年に、フランスはドイツによって攻撃されました、そして、パリは陥落し、ドイツへ好意的な政府がビッシーに設立されました。それに伴いインドシナはフランスのビッシー政府の支配下に入りました。
大東亜戦争勃発の前、1941年に日本軍はフランスの合意の下にインドシナに進駐しました。今日の日本とアメリカの関係と同じように、フランスが行政権を持っていました。
連合軍は1944年 8月に反攻し、パリを取り戻しました。日本はインドシナ政府の意向を懸念し、インドシナへの兵力増強をおこないました。それに伴い北ベトナムの日本軍も増強されました。
1945年には、日本は1個師団に加え、3個師団をインドシナへ送りました。日本はベトナム南部には3個師団を配置し、北部には1個師団を配置しました。日本は3月9日にクーデターを引き起こして、インドシナの行政権をフランスから奪いました。さらに、4月30日にはヒトラーが自殺しました。
一方、南シナ海の反対側、フィリピンでは、米軍が1944年10月にレイテ島に上陸し、1945年1月にはルソン島に上陸しました。これにより米軍はインドシナ爆撃を行い、北部と南部をつなぐ鉄道を破壊しました。船舶の損害は増加し、インドシナの南北の輸送路は破壊されました。
問題は1944年秋の台風や洪水のため、北部ベトナムの米が不作となったことです。不幸なことに北部より米作が豊かな南部からの輸送路が、米軍により完全に破壊されてしまったのです。フランス支配下のインドシナ政府は打つ手がありませんでした。尚当時はフランス本国は連合軍の支配下に入りましたが、インドシナ政府はビッシー政権により任命された人達がそのまま統治していたのです。
我々は200万人の死者が真実か否かは分かりません。しかし日本軍が配置したのは一個師団、約2万5千人です。2万5千人増加した為、200万人の人々が餓死するということはありません。200万人の餓死者は台風や洪水、米軍の交通手段の破壊によるものです。
http://www.jiyuu-shikan.org/faq/asia/vietnum.html
返信
これは メッセージ 7449 yominokuni56 さんに対する返信です
それにしても、河野洋平の売国行為は、とどまるところを知らないようだ。
(参考)
阿部知子←自衛隊への悪意から平気でうそをつく・河野洋平←調べもせず日本軍の強制性を認め、謝罪談話を発表【産経抄】
http://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/12953017.html
【正論】現代史家・秦郁彦
アジア女性基金の遅すぎる解散
■誤解招く「河野談話」を取り消すべき
≪元慰安婦償い事業終了≫
≪米議会も対日非難決議案≫
≪ベトナム大量餓死の誤認≫
2007/02/06,産経新聞
http://www.sankei.co.jp/ronsetsu/seiron/070206/srn070206000.htm
以上
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