【評伝】安倍晋三元首相 「闘う政治家」として安保法成立、改憲発信 最長政権も功罪評価分かれる
2022年7月8日 20時08分
長期政権を築き、自民党保守派の代表格でもある安倍晋三元首相が凶弾に倒れた。世論の反対が強い安全保障関連法、特定秘密保護法などを次々と成立させ、退陣後も改憲や防衛力強化といった持論を発信し続けた。個人的には現場で取材した第1次政権以前の印象が強く残っている。
「わたしは闘う政治家でありたい」「闘う政治家とは国家、国民のためとあれば批判を恐れず行動する政治家のことだ」。2006年に出版した著書に、安倍氏はこう記した。この年、戦後最年少、初の戦後生まれという52歳で第1次政権を発足させるが、既に片りんは見せていた。
父の安倍晋太郎元外相の秘書だった1980年代、北朝鮮による日本人拉致疑惑を知り、調べていくうちに事実と確信。対北朝鮮の強硬派として活動した。小泉内閣の官房副長官だった02年、小泉純一郎首相の訪朝に同行し、拉致被害者5人の一時帰国が実現する。副長官は首相や官房長官の部下で立場が弱く、まだ40代だったが「国家の意思として被害者を北朝鮮に返すべきではない」と主張し、押し通した。
一気に頭角を現し、自民党幹事長、官房長官を経て猛スピードで頂点へと上り詰めた。ジャンクフードやスナック菓子が好きで、ポップコーンを食べながら気さくに雑談に応じてくれる一面もあった。
第1次政権は参院選敗北に病気が重なり、失意のまま1年で幕を閉じたが、第2次政権で1強の基盤を固めると「闘う」姿勢を前面に押し出す。「私のことを右翼の軍国主義者と呼びたいのであれば、どうぞ呼んでほしい」など挑発的な言動も目立つようになった。
数々の政策遂行や行動について、本人は国家、国民のためと信じて疑わなかったのかもしれない。しかし、安保法は憲法の平和主義を揺るがし、市民らが連日のように国会前で抗議する中での強行採決となった。政権批判の声を上げる聴衆に向かって「こんな人たちに負けるわけにはいかない」と声を荒らげたこともある。支持層を固め、反対意見を遠ざける政治手法は社会に分断やあつれきを生んだ。
安倍氏は、首相の座を目前に病に倒れた父の無念をよく口にしていた。国会議員になったときから、首相の地位を意識して活動した結果、戦後最長政権などの足跡を残したが、その功罪の評価は分かれる。(原田悟)
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