「川を渡る革命国家」 自立した国民 期待されない政治家のいる 革命のいらない日本 : イロハニホヘドツブヤクド
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イロハニホヘドツブヤクド) 投稿者,
@ 2013-06-17 03:09:00
「川を渡る革命国家」 自立した国民 期待されない政治家のいる 革命のいらない日本
では「革命」という前時代的発想はなぜ起こるのか。
革命後の膨大な後始末を考えていない人が、
積み木を崩して無邪気な子どものように誇るのが「革命」という名の混乱だと致しますと
「革命」の必要性というのは一体どういう事なのか、
考察してみたいと思います。
「革命」と独裁政治
独裁政治という「革命」に必須の条件は、それが「いつ」という点において、
不確定要素を含んでいます。
だいたい独裁政治というのは、長期化している中で不満が蓄積されている訳ですが、
「いつ」革命を起こすか、
ささやかれるというのは独裁政治の末期であり、また独裁政治を行う側が
常に警戒するべき事だと思います。
さらに時間を細分化していき、「今だ」とか「いまでしょ」とかっていう感覚が蔓延して
革命が起きるのでしょうが、少なくともお隣の独裁政治国家を見るにつけ、
「今だ!」とかって機会を、国境沿いの川を渡ることのみに費やして、
国境を渡る後の生活に苦心している個人行動を、
「個人の革命」だとすると、
個人の行動になっている内は、つまり個人的体験にさせている内は、
「革命」には至らないのだということで、
お隣の独裁政治国家は、独裁政権の脱落者はそこそこ亡命させるほうが
合理的だという統治体制なんだろうなと思った訳です。
「いやなら出てけ!」という独裁政治は、
川を渡れば行ける未知なる世界があるから可能なのだという、
ある意味「川」を抜きに語れないのではないかと思った次第です。