内閣改造によって、第2次安倍内閣が発足したものの、この内閣がそれほどもつとはとても思えない。何がきっかけになるか、まだ予想もつかないが、おそらく数カ月もしないうちに、にっちもさっちもいかなくなって、安倍首相は政権を投げ出さざるを得ない事態に追い込まれるのではないか。 なぜそう思うのかといえば、この内閣に生命力が感じられないからである。元気がなさすぎる。 第一、安倍首相自身に元気がなさすぎる。 あの新内閣発足直後の記者会見をナマで見た人は、みな安倍首相の異常すぎるほどの元気のなさにびっくりしたにちがいない。 疲れ切った表情で、しゃべる声にめりはりがなく、言葉も足りない。 論旨不明確。自分の新しい内閣を作ったぞ、どうぞ見てくださいという喜びがまるでない感じだった。 面白かったのは、日本テレビに登場した昭恵夫人のコメントである。このところずっと、安倍首相の頭の中は内閣改造の人事でいっぱいで、食べ物もろくに口を通らない感じだった。 話しかけてもこちらのいっていることが全く耳に入っていないくらいの様子だったという。 第1次安倍内閣の最大の破綻の原因は、人事の失敗──安倍首相に人を見る目がなかった、ということにつきるのだから、人事に悩み抜くことそれ自体はいい。しかし、では新しく生まれたばかりの内閣に、それだけ考えに考え抜いた人事の冴えが見られるかといえば、見られない。 この内閣は一口にいえば、挙党一致体制の名のもとに、派閥ボスを6人(大臣で4人、党役員で2人)も取りこんで作った派閥連合体内閣である。派閥ボスを内部に取りこむことによって、これから起こる(と予想される)内閣のすべての失敗に対してすべての派閥に連帯責任を負わせてしまおうということなのだろう。 だが、谷垣派だけは意識してしめ出しをくわせた(内閣ポストゼロ)。古賀派の協力も得られなかった(総務会長のポストを提示するも拒否されたと伝えられる)。このあたりの充分取りこめなかった派閥が今後の政局の展開に大きな影響を与えそうだ。 だが内側に取りこんだ派閥ボスたちにしても、すべて、大ベテラン議員である。安倍首相より政治キャリアが2倍も3倍も長い。内閣に取りこんだからといって、そうやすやすと安倍首相がコントロールできる相手ではない。 安倍首相はこれまで、キャリアらしい政治キャリアがほとんどない(大臣経験1回だけ)のに、アッという間に総理大臣の座まで上りつめてしまった人である。それが自分の最大の弱点だということを自覚していたから、これまでは政権内部に、自分より政治的識見がはるかに上であるようなベテラン議員を入れることを避けてきた。 自分にもコントロール可能なお友達ばかり集めた「お友達内閣」を作ってしまった最大の要因もそこにある。 今度は一転して、大ベテランぞろぞろという内閣を作ってしまったが、その中で安倍首相は本当に指導力を発揮できるのか。 今回の参院選の大敗北で、安倍批判の声が最も強かったのは、その人事の失敗、なかんずく「お友達」偏重というところにあった。そして、敗北直後から、今度の内閣改造では、挙党一致体制を作れの声があちこちから出はじめた。 安倍首相としては、今回の派閥ボス、ベテランを中心にすえた人事は、そのような声に配慮した結果といいたいのかもしれないが、ここまでやるとやりすぎだろう。 各派閥からまんべんなく人をとるくらいのことはしてもよいが、派閥ボスを全部集めるような今回の党・内閣人事は、安倍首相が主体性をほとんど失ってしまっての人事といってもよい。 ここまでくると、前の「お友達内閣」のほうが、それなりに安倍首相の個性というか、自己主張が感じられて、よかったのではないかとひねくれたこともいってみたくなる。 結局安倍首相は、参院選大敗北に動転したあまり、「今度は挙党一致内閣を」「格差是正を」「地方重視を」などなどの外部からの批判の声に全部こたえようとして、主体性をどんどん失ってしまったのだろう。 だが、それほど主体性のない人間に、大ベテランをならべた内閣で指導性が発揮できるのだろうか。 政治のベテランの世界は、個性発揮で生きてきた百戦練磨の人々の世界である。下手をすると安倍首相は、その中で埋没してしまいかねない。 安倍首相以上に元気がなくてビックリしたのは、与謝野馨官房長官である。この人はもともと自民党の中でも政策に明るく有能で有名な人だから、官房長官が十分に務まる人物であることはまちがいない。 しかし、内閣人事の発表にあたるこの人の姿を見てびっくりした。人相も、姿も、身のこなし方も、昔とすっかりちがってしまっている。生気がほとんど感じられない。しばらく前にかなり重い病気を患ったと聞いてはいたが、これほど弱っていようとは想像もしていなかった。 官房長官の仕事は、ある意味で総理大臣以上といってもいい激務の世界である。 エネルギッシュに問題を次々に片づけていける人でないとつとまらない。 そして、官房長官は、総理大臣とならぶ政府の顔である。毎日、総理大臣以上に長時間の記者会見をこなす政府のスポークスマン役である。 そこにこれほど元気のない、健康に問題をかかえている人をすえておいては、内閣のイメージが暗くなるばかりだろう。 もともと安倍首相の最初の組閣構想では、菅義偉・前総務大臣を内閣官房長官にあてるつもりでいたところ、菅氏の政治資金問題でそうするわけにはいかなくなり、急に与謝野氏にさしかえたのだという。 なるほど菅氏なら、エネルギッシュに問題をどんどん片づけてゆくタイプだから官房長官にピッタリだが、与謝野氏は「一つ一つ着実に」というばかりで、堅実さは感じられるものの、エネルギーは感じられない。 官房長官を表の政府の顔とするなら、それと並ぶ裏の政府の顔が官房副長官である。それが官僚組織上、どれほど枢要なポストであり、官僚機構を掌握できるかどうかは、一にかかって官房副長官人事にあるということは、前に(第93回「未熟な安倍内閣が許した 危険な官僚暴走の時代」)詳しく説明した。そして、安倍内閣の最大の人事の失敗の一つが、そのポストに的場順三氏を置いたことにあるということもそのとき説明した。 この内閣改造は、この官房副長官人事を是正する絶好の機会であったのに、安倍首相は、的場官房副長官を据え置いた。これまた、今回の改造人事で最も訳がわからないところである。多分、安倍首相は、それがミスキャストであったという自覚がないのだろう。 その根っ子には、安倍首相が官僚の世界にあまりにも無知であるということがある。大きな官庁の大臣を1度でもやって官僚の実動大舞台を動かした経験がある人はそれがすぐわかるのだが、安倍首相にはその経験がない。 マスコミの一部に安易に官僚批判をすることが正義であるかのごとく考える風潮が最近よく見られるが、もちろんそれは誤りである。 これは考えてみればあたり前のことだが、政府はすべて官僚のかたまりである。世界のどこでも国家は官僚によってランニングされているのである。マンパワー的側面からいえば、国家機構イコール官僚機構である。制度上そうならざるをえないのである。 最近、政治家と官僚の正しい関係は、何事であれ、政が官の上に立ち、官を好きなようにコントロールすることであるかのごときことがいわれることが多いが、それはむろん正しくない。 それでは本来パブリック・サーバント(公僕)である官僚を、一部政治家のプライベート・サーバントにしてしまう。 本来のパブリック・サーバントたる官僚は、誰に対して最優先の忠誠心を持つべきなのかといえば、むろん、時の政治権力保持者に対してではなく、それより永続的な生命を持つ国家に対してである。 官僚は時の権力者が命じること以上に、国家理性が命じることに従わなければならないのである。政と官の関係は、なかなか複雑で、いちがいにどうあるのが正しいといいかねるが、ひとつだけ確実にいえることは、官僚を使いこなせない政治家は大成しないということである。官僚を使いこなすとは、官僚機構を使いこなすということで、それはとりもなおさず国家機構を使いこなすということである。官僚を使いこなすためには、国家理性の命ずるところがどの辺にあるのかをきちんと筋目立てて説明し、官僚を国家理性の言葉(論理)で説き伏せなければならない。それができなければ、田中角栄がそうしたように、官僚の下賤な欲望に火をつけて、私利私欲の世界の即物的な言葉(金銭あるいは出世欲を満たすポスト)で、官僚のハートをつかむ必要がある。 いずれにしろ、官僚の心をうまくつかんで、これをコントロールできない政治家は大政治家になれない。 安倍首相はこのあたりのこともわかっていない。ただただ権力的に官僚をおさえつけて自分の言うことをきかせることが「改革」だと思いこんでいる。これでは官僚の心がどんどん離れていくばかりだし、公約の公務員改革もうまくいくはずがない。 総理大臣というのは、官僚機構の親玉そのものなのに、子分の心が親分を離れ、面従腹背におちいっていく。これではいずれ政権が破綻せざるをえない。 政治の季節がやってきた。面白いのはこれからである。
間もなく、国会がはじまる。額賀財務大臣がいっていたように、「民主党の協力なしには、法律一本通らない」という新しい時代のはじまりである。テロ特措法から、年金問題、消費税問題と問題山積国会のはじまりである。野党が国政調査権を存分に使って政府を次々に攻めたてていく攻防のドラマのはじまりである。
|