C&WミュージックのレジェンドCharley Prideが12日、新型コロナウィルス感染症の為 死去。86歳。黒人のC&Wシンガーとしては、異色ではあったが、60年代、70年代には 多数のヒット曲を業績に残した。"Let the Chips Fall" "Is Anybody Goin' to San Antone" "Kiss an Angel Good Mornin'" "It's Gonna Take a Little Bit Longer" などがある。 "Green, Green Grass Of Home"や"Billy Bayou",Kaw-Ligaは、 彼の歌で知るようになった。 彼の特徴のある濁声に、馴染んでたものよ。 C&W界の重鎮も、大物の存命者は、Willie Nelson, Hank Williams Jr, Dolly Parton, Connie Smith, Wanda Jackson, Loretta Lynnくらいになってしまったな。 R.I.P.
Nat King Coleで有名な"Mona Lisa." をカヴァーした50年代のロカビリー歌手 Carl Mannが16日78歳で死去。 "Mona Lisa."は、Conway Twittyもカヴァーヒットさせている。(59年全米25位) 50年代のロカビリー歌手も存命者は、Jerry Lee Lewis, Sanford Clark, Jimmy Bowen, Jimmie Rodgers, Ronnie Hawkinsくらいになってしまったな。 R.I.P.
60年代に活躍したフォークデュオ Chad & JeremyのChad Stewartが20日 79歳で死去。64年にYesterday's Goneのヒットを機に、A Summer Song, Willow Weep For Meとヒットを飛ばし、翌年にコロムビアに移籍。この後も、 Before and After, I Don't Want to Lose You Baby, Distant Shoresのヒットを出し、 68年まで活動を続けた。その後も何度かは再結成もしている。
60、70年代に活躍したイギリスのソングライター、Geoff Stephensが24日 86歳で死去。 Tony Macaulay, John Carter, Roger Greenaway, Ken Howard, Alan Blaikley, Mitch Murray, Les Reedらと共作をし、多くのヒット曲を出した。 The New Vaudeville Bandの"Winchester Cathedral" Herman's Hermitsの"There's a Kind of Hush" The Holliesの"Sorry Suzanne"などが代表作。R.I.P.
1960年代に活躍したイギリスのグループGerry & the Pacemakersのリーダー Gerry Marsdenが3日78歳で死去。1963年に"How Do You Do It?"でデビューし、 これが大ヒット その後も、"I Like It" "You'll Never Walk Alone" "Don't Let the Sun Catch You Crying" "Ferry Cross the Mersey" とヒットし、66年まで活動した。 その後も、メンバーチェンジを繰り返しながら、再結成し続けた。
米国のカントリーシンガー、エド・ブルース( Edwin Bruce)が1月9日に81歳で死去。自然死だった。 1981年にYou're the Best Break This Old Heart Ever Hadがビルボード・カントリーチャートで1位を記録した。 https://m.youtube.com/watch?v=k2G6O7floDE
Vanilla FudgeのベーシストTim Bogertが13日、76歳で死去。60年代に活躍した このバンドは、The Supremesの"You Keep Me Hangin' On"をカヴァーヒット (68年全米6位)させたことで有名。その後の"Take Me for a Little While"もヒットし たが、その後解散。TimやCarmine AppiceはJeff Beckのグループに参加することになる。
アレンジャーとしては、シカゴ1984年の「Hard Habit to Break」や、マンハッタン・トランスファー 1983年の「The Night that Monk Returned to Heaven」、バーブラ・ストライザンド1994年の 「Luck Be a Lady Tonight」、ホイットニー・ヒューストンの「I Have Nothing」など。
また、ソングライターとしても活躍したラボックはデヴィッド・フォスター、リチャード・マークスと共作した 「The Best of Me」がクリフ・リチャードによってレコーディングされ、1989年のUKチャートで第2位を 記録、パティ・ラベル&マイケル・クロフォード「With Your Hand Upon My Heart」や、アル・ジャロウの 「Not Like This」もヒットしました。
ジェイムス・イングラムの「Whatever We Imagine」や、パティ・オースティンの「Alone In The World」 など、数多くの一流アーティストの作品を手掛け、AOR/ブラコンの分野でも多大な貢献をしました。
50年代の姉妹デュオ、Patience and PrudenceのPrudence Ann McIntyreが15日、78歳で死去。 このデュオは56年に"Gonna Get Along Without Ya Now", "Tonight You Belong To Me"を ヒットさせた。"Tonight You Belong To Me"は日本では"イチゴの片想い"として知られ、 Nancy Sinatraの歌でヒットした。R.I.P.
R & Bの大御所グループ、The Isley Brothersのオリジナルメンバーの1人、 Rudolph Isleyが11日、84歳で死去。オリジナルで存命なのはRonaldのみとなる。 The Isley Brothersは57年にレコードデビュー、最初の数枚は不発だったが、59年に "Shout(Part-1)", 62年に"Twist and Shout"がヒットとなり、66年にMotownに移籍、 "This Old Heart of Mine"が12位のヒットとなる。69年には自らのレーベルT-Neckを設立し、 "It's Your Thing"が2位の大ヒット。70年代には"Love the One You're With", "That Lady", "Summer Breeze", "Fight the Power"などをヒットさせた。T-Neck時代にはそれまでの3人組から、 6人編成のグループに成長したが、86年に長男のO'Kelly, 10年にMarvinが他界、Rudolphも89年に脱退した。 現在、グループはRonaldとErnieが存続している。R.I.P.
カナダの伝説のロックバンド、The Guess Whoのオリジナルメンバーで 初代のヴォーカリストChad Allanが先月21日死去。80歳の高齢であった。 The Guess Whoは元々はChad Allan and the Reflectionsとして活動、 やがてThe Expressionsに改名、その後The Guess Who名義で Johnny Kidd & The Piratesの""Shakin' All Over"を65年全米22位のヒットを 出す。当時はGarageやビート風のスタイルのバンドであった。 だがその後はヒットが出せず、Chadは66年に脱退する。 代わりにBurton Cummingsが加入、69年にRCAから再デビューして ヒットを飛ばすバンドに成長するのは言うまでもない。 Chadは脱退後はソロ活動したり、Randy Bachmanと共に Brave Beltで活動した。R.I.P.
伝説のロックバンドThe Moody Bluesのオリジナルメンバーでヴォーカリスト でもあったDenny Laineが5日、79歳で死去、死因は新型コロナの後遺症だった。 アマチュアバンドを経てThe Moody Bluesに加入。64年にデビューするが 最初の1枚は不発、2枚目の"Go Now"が全英1位、全米10位の大ヒットとなる。 その後も2,3曲はチャートに入るが、以降のシングルは不発。66年にM.B.を脱退する。 67年にElectric String Bandを結成、 "Say You Don't Mind", "Too Much in Love"を リリースするがヒットすることも無く、バンドはすぐに解散した。
70年代に入ると他のアーティストのセッションに参加したり、初のソロも出すが、 71年にあのPaul McCartneyに誘われWingsに参加。"My Love", "Live and Let Die", Jet,"Band on the Run", "Listen to What the Man Said"など数多くのヒットを放った。 wingsは81年に解散、以降もソロ活動を続けた。 Dennyが離れた後のM.B.は新たなメンバー2人加え、プログレという新しいジャンルで 活躍したのは言うまでもない。R.I.P.
60年代のビートグループBilly J. Kramer & The Dakotasの オリジナルメンバーでギタリストのMike Maxfieldが今月、 79歳で死去。エレキインストの"The Cruel Sea"の作曲者で The Dakotas名義で63年全英18位のヒットとなった。 後にThe Venturesにカヴァーされ、日本では The Venturesの曲として知られるようになった。R.I.P.
1960年代の伝説のガールグループThe Shangri-Lasのオリジナルメンバー、 Mary Weissが19日、75歳で死去。グループの存命者はBetty Weissだけになった。 The Shangri-Lasは"Leader of the Pack"を64年に全米1位を獲得。他にも "Remember (Walking in the Sand)", "I Can Never Go Home Anymore"の ヒットを持つガールグループとしても有名。R.I.P.
60年代から活躍したアメリカのガレージパンクバンドMC5の オリジナルメンバーでギタリストのWayne Kramerが2日、 75歳で死去。3枚のアルバムをリリースし、72年に解散。 その後何度か再結成された。69年の1stでLIVE盤の "Kick Out the Jams"はガレージパンクでは有名。R.I.P.
黒人ベテランソウル(R & B)グループThe Spinnersのオリジナルメンバー Henry Fambroughが7日死去。85歳の高齢であった。 54年結成時以来のメンバーで、去年までに在籍していた。 The Spinnersは"I'll Always Love You", "It's a Shame", "Could It Be I'm Falling in Love"などのヒットを持つグループで知られ、 74年にはDionne Warwickとの共演で"Then Came You"を 1位に大ヒットさせている。70〜82年まで幾多のヒット曲がある。R.I.P.
故・Jerry Lee Lewisの代表曲"Whole Lotta Shakin' Goin' On" にレコーディング参加していたドラマーで、作曲家、プロデューサー でもあったJimmy Van Eatonが10日、86歳で死去。 "Whole Lotta..."はJerry Lee lewisの歌で57年全米3位の 大ヒットとなった。SunレコードではJohnny Cash, Roy Orbison, Charlie Rich等のレコーディングでもドラムを 叩いていた。R.I.P.
日本でも"The Legend of Xanadu"のヒットで知られる イギリスのThe Dave Dee Groupのメンバーでギタリストでもあった TichことIan Ameyが15日、79歳で死去。R.I.P. (グループの正式名はDave Dee, Dozy, Beaky, Mick & Tichで The Dave Dee Groupの呼称は日本のみ)
1950年代の女性デュオThe Bell SistersのCynthia Strotherが16日、 88歳で死去。52年に"Bermuda"(#7), Wheel of Fortune(#10)を ヒットさせた。"Bermuda"は後にThe Four Seasonsがこの曲で デビューするが不発。彼等は次のシングルで1位の座を手にする。R.I.P.
"See You in September"(66#3)の大ヒットで知られている60年代の ヴォーカルグループThe Happeningsのオリジナルメンバー、David Libertが 20日、81歳で死去。The Happeningsは69年までヒットを出したが、70年に解散、 その後再結成され、現在も存続中。R.I.P. 、
Oldiesの名シンガー、Steve Lawrenceが7日に死去。88歳の 高齢であった。52年に"Poinciana"(#21)でデビュー、57年に "Party Doll"(#5)をヒットさせる。その後ABC Paramountに移籍し、 "Pretty Blue Eyes"(#9),"Footsteps"(#7), U.A.では "Portrait of My Love"(#9)がヒット、Columbiaでは "Go Away Little Girl"が63年に初の全米1位と好調だった。 だが、その栄光も64年になると下降し、66年以降はヒットも出なくなった。
妻は"Blame It on the Bossa Nova"のヒットで有名な Eydie Gormé(1928-2013)で, おしどり夫婦としても知られ。 Steve and Eydie名義では2曲をヒットさせ、60年代以降も デュエットアルバムを数多く出している。
"Footsteps", "Go Away Little Girl"はOldiesの 名曲として日本でも有名。 R.I.P.
The Moody Bluesのオリジナルメンバーとしては最後の存命者だった Mike Pinderが24日、82歳で死去。M.B.には再結成後の78年まで在籍した。 Mikeがこのバンドに居たからこそ"メロトロン"という楽器が知られるように なり、数々の素晴らしい作品が誕生したのは言うまでもない。感謝の一言。 彼の死去でM.B.のオリジナルは1人もいなくなった。R.I.P.
サーフィン&ホットロッドの名曲"GTO"のRonny & The Daytonasのリーダー、 Ronny DaytonことJohn "Bucky" Wilkinが6日、77歳で死去。 60年代にRonny & The Daytonasとして活動、"GTO","California Bound","Sandy"を ヒットさせたがその栄光は長続きしなかった。67年頃に解散。その後はS.S.W.に転向、 70,71年に本名の名でソロアルバムを出したが売れることはなかった。 母親はソングライターのMarijohn Wilkinで"The Long Black Veil","Waterloo", "Cut Across Shorty"などの作曲者でもあった。R.I.P.
60年代のガレージバンドThe Bobby Fuller FourのRandy Fullerが16日、 80歳で死去。66年に謎の死を遂げたBobby Fullerの弟でもある。 バンドは"I Fought the Law", "Love's Made a Fool of You"で有名。 兄貴の死後、The Randy Fuller Fourで続けたが、陽の目を見ることはなかった。 R.I.P.
S.S.W.のBuzz Casonが16日、84歳で死去。60年にGarry Miles名義で "Look for a Star"を出したところ、これが16位の大ヒットとなった。 (イギリスではBuzzとは別人のGarry Millsの歌でもヒット) Surfin' & Hot Rod界ではGary Usher, Ronny & The Daytonas等の作品を 提供、("Honda Bike","Sandy"etc...)、後者のJ.B. WilkinとBuzz and Bucky名義で シングルを出したこともあった。
The Nashville Teens, The AnimalsのドラマーだったBarry Jenkinsが、 今年の1月27日に79歳で亡くなったとの事。The N.Teensに64~66年まで 在籍、同年にThe Animalsの2代目のドラマーとして加入。E.Burdon & The Animalsの 解散の68年まで在籍した。その後はセッションミュージシャンとして 活動していた。R.I.P.
ソングライターのJerry Fullerが18日、85歳で死去。58年頃から音楽活動を開始。シングルを 出すもののPatti Pageの"Tennessee Waltz"のカヴァーの63位が彼のソロとしては これが最高位だった。 シンガーというよりも作曲家の知名度が高くRick Nelsonの"Travelin' Man", "Young World", "A Wonder Like You","It's Up to You", The Cascadesの"For Your Sweet Love", Gary Puckett and The Union Gapの"Young Girl", "Lady Willpower", "Over You"などは OLDIES, POPSファンには知られている。 またプロデューサーとしてもThe Knickerbockersの"Lies"や、Al Wilsonの"Show and Tell"を 大ヒットさせて成功を収めている。60年代のソングライターには欠かせない1人。R.I.P.
女性POPSシンガーのSandy Poseyが20日、80歳で死去。66年に"Born a Woman","Single Girl", を共に12位の大ヒット、翌年には"I Take It Back"(これも12位)もヒットするが、栄光もここで 終わる。70年代に入るとC & Wシンガーとして活躍。数曲がC & Wチャートに入った。R.I.P.
MOTOWNの有名黒人4人組グループThe Four TopsのDuke Fakirが22日に88歳で死去。 唯一のオリジナルメンバーで、オリジナルとしては最後の存命者でもあった。 The Four Topsは "I Can't Help Myself", "Reach Out I'll Be There"で1位を取得、数多くの ヒット曲を残した。53年の結成以来、オリジナルで活動したが、97年にLawrence Payton, 05年にRenaldo "Obie" Benson, 08年にLevi Stubbsが亡くなっている。 これを機にオリジナルは全員いなくなったが、グループは新しいメンバーで今も活動中。R.I.P.
60年代のイギリスのサイケポップデュオTwice as MuchのAndrew Roseが 8日、78歳で死去。 Twice as MuchはImmediateからレコードデビュー、"Sittin' on a Fence", "Step Out of Line"をヒットさせ、2枚のアルバムをリリースしたが、 活動期間は短命に終わった。R.I.P.
黒人Doo-WopグループMaurice Williams and the Zodiacsのリーダー、 Maurice Williamsが5日、86歳で死去。 60年に"Stay"が全米1位、この曲は1分半くらいしかなく、Billboardの1位としては 最も短い曲としても有名。だが、グループは"Stay"以外のヒットはなく、典型的な一発屋で終わった。 後にThe Four Seasons, The Hollies, The Dave Clark Fiveなどがカヴァー、 前者の2アーティストはヒットさせている。R.I.P.
"I Had Too Much to Dream (Last Night)", "Get Me to the World on Time" のヒットで知られている60年代のガレージバンドThe Electric Prunesの ドラマーだったMichael "Quint" Weakleyが今月に死去。R.I.P.
イギリスのアレンジャーであり、ソングライター、プロデューサーでもある Charles Blackwellが今月84歳で死去。 John Leytonの"Johnny Remember Me", Tom Jonesの"What's New Pussycat"、 Engelbert Humperdinckの"Release Me"などのアレンジ、プロデュースを手がけた。 彼がアレンジ、プロデュースを担当したアーティストも数多い。R.I.P.
ボサ・ノヴァ、ブラジル音楽界の大物の1人、Sérgios Mendesが6日、83歳で死去。 近年は新型コロナに感染されていた。50年代後半から音楽活動を開始、この頃は JAZZピアニストとして活動、後にアメリカへ移動し、ボサ・ノヴァブームの 推進役となった。66年Brasil'66を結成、A&Mからレコードデビュし、"Mas Que Nada"が 日本を含む世界的に大ヒット、彼等の代表作となった。 The Beatlesの"Day Tripper"や"Fool On The HIll"もカヴァーヒットした。 70年に大阪の万博では来日公演を行い、後にLP化もされた。(以降何度か来日公演も多くなる) Brasil 66'はこれ以降もBrasil 77'〜88'で活動を続け、Mendesもソロ活動を続けた。 彼がプロデュースしたグループ"Bossa Rio"のメンバーGracinha Leporaceは 後にBrasil 77'のメンバーとなり、Mendesの妻でもある。
Shana Na Naの中心メンバーScreamin' Scott Simonが5日、75歳で死去。 グループは69年にデビュー、同年のウッドストックのLiveでは"At The Hop"含む 数曲を披露して話題にもなった。Sha Na NaはかつてのR & RやDoo-Wopをカヴァー することでも有名。日本でも知られているグループでもある。 当人は70年から加入、2022年まで52年まで中心メンバーとして在籍していた。R.I.P.
イギリスのR&Bシンガー、オルガニストのZoot Moneyが8日、82歳で死去。 61年にZoot Money's Big Roll Bandを結成、64年に"The Uncle Willie"でデビューするが、 不発に終わる。66年に"Big Time Operator"が全英25位でこれが唯一のヒットとなった。 アルバム1枚と数枚のシングルを残してバンドは解散、68年に末期の Eric Burdon & The Animalsに参加、来日もしている。 解散後は数々のアーティストの作品に参加していた。 ソロアルバムも60年代に3枚出しているが、脚光を浴びることはなかった。 90年代のMODSのリヴァイヴァルブームでGerogie Fame, Briab Auger等と共に再評価は されるようになったが、日本での認知や評価は未だに低い。R.I.P.
67年にATCOに移籍、"Bottle of Wine"が全米9位の久しぶりの大ヒット、 その後も"Goin' Away", "Come On, React!", "Long Green"が チャートインするが、ヒットとは言えない程度だった。69年にJimmyが脱退、 The Fireballsは解散する。その後89年に再結成され、2022年まで活動したが、 Jimmyは脱退後は歌手活動は退き、ビジネスのほうに専念した。R.I.P.
The Fireballsで忘れてはいけないのはプロデューサーのNorman Petty(1927-1984)だろう。 彼は自前のスタジオを所有しており、The Fireballs以外にも、Buddy Holly & The Crickets, The String-A-Longsなども手がけている人物でもある。
フォーク、C & W系のS.S.W.、Billy Edd Wheelerが16日、91歳の高齢で死去。 彼が書いた"Jackson"(オリジナルはThe Kingston Trio)はJohnny Cash & June Carterに歌われ 67年のC & Wチャートで2位にもなった。 同年にはNancy Sinatra & Lee Hazlewoodが全米14位の大ヒットになっっている。 この曲はFlatt and Scruggs, Jerry Lee Lewis with Linda Gail Lewis, Wanda Jackson, Bobby Bare and Skeeter Davis, Merle Haggard, Buck Owensなど多くのカヴァーもある。
他にも"The Reverend Mr. Black"をJ.Leiber & M.Stollerと共作、The Kingston Trioに歌われ、 "High Flyin' Bird"はJudy Henskeに歌われ、後にRichie Havens, We Five, Jefferson Airplane等に カヴァーされた。
Billy本人も作曲以外にもソロアルバムをリリ−ス、C & Wチャートに数曲がチャートインしている。 64年の"Ode to the Little Brown Shack Out Back"がC & Wチャート最高位3位が、 彼の最大ヒット曲。R.I.P.
"Me and Bobby McGee"(Janis Joplin) "For the Good Times"(Ray Price) "Sunday Mornin' Comin' Down"(Johnny Cash) "Help Me Make It Through the Night"(Sammi Smith)
イギリスの音楽プロデューサーShel Talmyが13日、87歳の高齢で死去。 37年生まれのアメリカ人。大学卒業後はテレビ局勤務、その後 レコードスタジオのエンジニアとして入社、ここでNick Venetと出会い、 プロデュース方法を学ぶ。その後突如渡英を決意。幾多の仕事を経て、 The Kinks, The WHOのプロデュースを担当して成功を収める。 その後は2バンドと決別し、以降も数多くのアーティストをプロデュースを やり続けた。他にも
David Bowie, The Easybeats, Manfred Mann, The Nashville Teens, The Creation, The Bachelors, Chad & Jeremy Amen Corner, Patangle, The Fortunes etc... 60年代に数多いのも特徴。
The WHO, The Kinksを成功の功績を挙げた人物だが、2バンドのファンや 業界から嫌われたトラブルメイカーでもあった。R.I.P.
初期のThe Bee GeesのメンバーでドラマーでもあったColin Petersenが 17日、78歳で死去。67年にオーストラリアから帰国したGibb3兄弟の The Bee Geesに加入、もう1人加えて5人組で再デビューすることになる。
The Bee Geesは"To Love Somebody", "Massachusetts", "Holiday", "I've Gotta Get A Message To You", "I Started A Joke"などの 数ヒットを飛ばす。だが、69年にBarryとMauriceに解雇され、 その後はHumpy Bongで活動するも、成功せず、とうとう音楽業界から退いた。 Gibb3兄弟のThe Bee Geesに入った赤の他人の1人であった。R.I.P.
Iron ButterflyやBlues Imageのメンバーだったギタリスト Mike Pineraが20日、78歳で死去。 Blues Imageでは1966–1969に在籍,Iron Butterflyでは1970–1972に在籍した。 故人から見ればBlues Imageの唯一のヒット"Ride Captain Ride"は脱退後、 Iron Butterflyの代表曲"In-A-Gadda-Da-Vida"は加入前になる。R.I.P.
"Tobacco Road"の大ヒットで知られている60年代のイギリスのビートグループ The Nashville TeensのヴォーカリストArthur Sharpが昨年の12月に 82歳で死去していたことがわかった。62年結成以来のメンバーで、 Ray Phillipsとのツインヴォーカルを担当。72年に脱退した。 The N.Teensは今年にBarry Jenkins, John Hawkenが亡くなっている。 Arthurは全盛期メンバーの物故者としては3人目となる。R.I.P.
60年代のガールグループReparata and the Delronsのリーダー ReparataことMary Aiese O'Learyが死去。 Reparata and the Delronsは65年に"Whenever a Teenager Cries"が60位の ヒットとなった。イギリスでは"Captain of Your Ship"が13位になっている。 R.I.P.
S.S.W.のDon Nixが先月31日に83歳で死去。 60年代初めは"Last Nightのヒットで知られているThe Mar-Keysに在籍。 その後ソロとなり、2008年まで数枚のアルバムを出した。 初期の"In God We Trust","Living by the Days"はスワンプロックファンには 名盤として知られている。R.I.P.
60年代のフォークグループの重鎮、Peter, Paul & Mary(P.P.&M.)の Peter Yarrowが7日、86歳で死去。Paul Stookeyが唯一の存命者となった。 P.P. & M.は61年にデビュー、"If I Had a Hammer", "Puff(The Magic Dragon)", "Blowin' in the Wind",などのヒットを飛ばし、69年に"Leaving on a Jet Plane"で 初の全米1位となる。70年に解散し、ソロ活動に入る。その後PP&Mは再結成され Mary Travers(1936-2009)が白血病に冒される2005年まで活動を続けた。 64年に初来日、67年には日本でのLIVE盤も発売されたこともあった。R.I.P.
女性歌手のAnita Bryantは先月の16日、84歳の高齢で亡くなっていた。 59年にデビュー。60年全米5位の大ヒットとなった"Paper Roses"は彼女の代表曲。 他には"Till There Was You", "My Little Corner of the World", "Wonderland by Night" の3曲をヒットさせている。だが61年になるとヒットも下降、やがてチャートから消えた。R.I.P.
60年代の伝説の黒人SOULデュオ、Sam & DaveのSam Mooreが10日、89歳の高齢で死去。 Sam & Daveは60年代前半にデビュー、ROULETTE在籍時は泣かず飛ばずだったが、 STAXに移籍、"You Don't Know Like I Know"がR & Bチャートで7位で初ヒットとなった。 これを機に"Hold On, I'm Comin'"でR & Bチャートで初の1位を獲得したが 全米では21位に終わった。"When Something Is Wrong with My Baby"は2位と全米42位に終わる。 "Soul Man"は1位と全米2位の大ヒット、彼等の代表作になった。"I Thank You"も4位と全米9位の大ヒット、 STAXからATLANTICに移籍、"Soul Sister Brown Sugar"が18位と全米48位と低めになり、以降は ヒットから遠ざかることになりやがて解散。88年にDave Praterが交通事故死した。R.I.P.
WHITE BLUES, ROCKミュージシャンのBarry Goldbergが22日、82歳で死去。 60年代に独自のBLUESバンドThe Barry Goldberg Blues Bandを結成、 EPICからアルバムを出すも何の話題にもならずに終わる。68年にバンド名を Barry Goldberg Reunionと改名しBUDDAHで3枚発表。 同時にはThe Electric Flagに参加。70年代以降も活動し、74年の作品には Bob Dylanがプロデュースしている。R.I.P.
50年代の有名黒人Doo-WopグループThe Flamingosのヴォーカリスト Tommy Huntが12日、91歳の高齢で死去。 The Flamingosは"I'll Be Home", "I Only Have Eyes for You"で知られ、 前者はPat Booneの歌でも有名。後者は映画"American Graffiti"で知られている。 脱退後はソロになり、"I Just Don't Know What to Do with Myself"をリリース、 故人の歌はヒットしなかったが、後にDusty SpringfieldやDionne Warwickの カヴァーで有名になった。R.I.P.
1958年に故・Curtis Mayfierldと共にThe Impressionsを結成、当初はDoo-Wopスタイルの グループでこの年に"For Your Precious Love"が全米11位の大ヒット、Jerryは その後脱退、Curtisが引き継ぎグループを開花させる。脱退後はソロになり、 VEE-JAYでは"He Will Break Your Heart", "Moon River", "Make It Easy on Yourself" "Let It Be Me" (with Betty Everett)をヒットさせソロシンガーとして成功する。 66年に所属のVEE-JAYが倒産した為、MERCURYに移籍、ここでも"Mr. Dream Merchant", "Never Give You Up", "Hey, Western Union Man", "Only the Strong Survive"などを ヒットさせ、70年代に入ってもヒットを出し続けた。
黒人女性シンガーのRoberta Flackが24日に死去。88歳の高齢だった。 近年は会話することも困難で芸能活動を引退していた。 37年生まれの大学出。69年にATLANTICから"First Take"でアルバムデビュー、 既に30歳を越えた遅咲きのデビューでもあった。これがアルバムチャートで 初の1位を獲得。2ndの"Chapter Two"(#33), 3rdの"Quiet Fire"(#18)は 10位以内に入ることはなかった。だが、1stに収録されていた "The First Time Ever I Saw Your Face"が映画の挿入歌として使用され、 シングルカット、これが72年に全米1位となる。この曲はソロとしては 最初のシングルヒットでもあった。翌年のリリースの4thの "Killing Me Softly"は3位を獲得。タイトル曲はシングルでも1位となる。 この曲はグラミー賞で3部門も受賞し、彼女の代表曲の一つにもなった。
デュエットではDanny Hathawayとの共演で72年にアルバムをリリース、 3位の大ヒット、シングルも"You've Got a Friend", "Where Is the Love"が ヒットした。このアルバムは当時のNEW SOULを象徴する作品でもある。
74年には"Feel Like Makin' Love"が全米1位となり、以降もヒットを 幾つか出した。Aretha Franklinと共に70年代のNEW SOULを語るには 欠かせないアーティストの1人でもある。R.I.P.
60年代のソフトロックグループThe Fun and Gamesのメンバー、Sam Irwinが死去。 "The Grooviest Girl in the World"が78位、これが唯一のヒットとなった。 唯一のアルバム"Elephant Candy"(プロデュースはGary Zekley)は ソフトロックファンには知られており、タイトル曲、"Close To Carmel", "We"などはファンには隠れた人気があるナンバー。R.I.P.
70年代の伝説のグラムロックバンドNew York Dollsのオリジナルメンバー David Johansenは先月28日、75歳で死去。バンドとしては最後の存命者でもあった。 New York Dollsは71年に結成、73年にTodd Rundgrenのプロデュースによる1stをリリース 74年には2ndをリリースするも商業的成功は得られず76年に解散した。R.I.P.
黒人ヴォーカルグループThe Friends of DistinctionのHarry Elstonが死去。 69年にHugh Masekelaの"Grazing in the Grass"を全米3位の大ヒットにさせ、 "Going in Circles", "Love or Let Me Be Lonely"もヒットしたが、 以降のヒットは2曲だけチャートに入っただけで、その後はヒットすることはなかった。 グループは75年に解散した。R.I.P.
Eric Burdon & The Animals期のメンバーだったJohn Weiderが死去。 バンドには66年から68年まで在籍し、The Animals解散後は69年に Familyに加入、71年に脱退した。 E.Burdon & The Animals期の存命者はEric, Andy Summersの2人になった。R.I.P.
俳優でもあり歌手でもあったRichard Chamberlainが29日、90歳の高齢で死去。 歌手というより映画俳優のほうが知名度が高い。 主演映画でもあった主題歌"Theme from Dr. Kildare (Three Stars Will Shine Tonight)"は 62年に全米10位の大ヒット、The Every Brosのカヴァー"All I Have to Do Is Dream"は 14位にもなった。63年の"Blue Guitar"でヒットからは遠ざかることになる。
"Blue Guitar"の作曲者はB.Bacharach & H.Davidによるもので裏面に収録されたのが "(They Long to Be) Close to You."。後にDionne WarwickやThe Carpentersに歌われ 後者は70年に全米1位となった。
人気映画俳優の1人でもあった彼は、"(They Long to Be) Close to You."の オリジナルでもあった。R.I.P.
60年代のティーンポップ歌手で日本でも人気があったJohnny Tillotsonが 1日死去。86歳の高齢であった。58年にCADENCEから"Dreamy Eyes"でデビュー 63位となる。2〜5枚目はチャートに入ったが大ヒットには至らず。 60年に"Poetry in Motion"が全米2位の大ヒット、彼の代表曲にもなった。 その後もCADENCEでは"Jimmy's Girl", "Without You", "It Keeps Right On a-Hurtin'", "Send Me the Pillow You Dream On", "I Can't Help It (If I'm Still in Love with You)", "Out of My Mind", "You Can Never Stop Me Loving You"など好調にヒットした。 63年にMGMに移籍、"Talk Back Trembling Lips", "I'm a Worried Guy", "I Rise, I Fall", "She Understands Me"など充実にヒットを出し続けるが、 65年の"Heartaches by the Number"を境に徐々に下降していき、翌年以降 ヒットが出ることはなかった。MGMを離れあちこちのレーベルで出すも 成功することもなく、結果は懐メロアーティストに定着してしまった。 OLDIES系のアーティストだが、C & Wチャートにも幾つかに曲がチャートインしている。R.I.P.
50年代の白人黒人混合Doo-WopグループThe Crestsのメンバーであり、 オリジナルメンバーとして最後の存命者だったJ.T. Carterが死去。 The Crestsは"16 Candles", "Step By Step,", "The Angels Listened In,"を ヒットさせたことで知られている。メインのヴォーカリストだった Johnny Maestroは2010年に他界している。R.I.P.
黒人シンガーのLenny Welchが8日、86歳の高齢で死去。 58年にデビュー、初めはヒットが出ないことが多く続いたが、 "Since I Fell For You"が63年に全米4位の大ヒットし、名前が知られるように なった。だが、"Ebb Tide"をヒットさせた後は低チャートの曲が続き消えていった。R.I.P.
"Since I Fell For You"は彼のオリジナルと思われがちだが、実際は Buddy Johnsonが1945年に作曲したもので妹のElla Johnsonによって歌われた。
60年代のイギリスのティーンポップシンガー、Mike Berryが11日、82歳の高齢で死去。 変奇プロデューサーJoe Meekのプロデュースによる代表曲"Tribute to Buddy Holly"は The Outlawsをバックに全英24位のヒットとなった。その後は"Don't You Think It's Time", "My Little Baby"をヒットさせ64年以降はヒットなしで終わった。R.I.P.
Area Code 615やBarefoot Jerry のメンバーだったMac Gaydenが83歳で死去。 故・Buzz Casonと共作した"Everlasting Love"は67年Robert Knightが歌って ヒット、これをイギリスのLove Affairがカヴァーし全英1位となった。 Love Affairのヒット"Rainbow Valley"もBuzzとの共作でもある。R.I.P.
イギリスのプログレバンドEast of Edenのオリジナルメンバーで ヴァイオリン、サックス、フルート奏者でリーダーでもあった Dave Arbusが先月21日に83歳で死去。バンドには結成の67年から73年まで 在籍し脱退、97年に再加入した。 The WHOの"Baba O'Riley"で独特のヴァイオリンを弾いているのは彼である。R.I.P.
C & W歌手のJohnny Rodriguezが9日、73歳で死去。 73年にデビュー、"Pass Me By (If You're Only Passing Through)"がC & Wチャートで 9位となった。これを機に"You Always Come Back (To Hurting Me)"で初の1位、 75年までに6曲が1位となっている。その後もヒットは好調、これが80年代前半まで 続いた。この時代のC & Wは"POP C & W"そのものでもあった。R.I.P.
40年生まれ、66年にMelindaとMurrayのMacLeodの兄妹とThe Roger Nichols Trioを 結成、(後にR.Nichols & The Small Circle Of Friends(R.N.S.C.F.)となる) A&Mでアルバムやシングル出すも不発に終わる。その後Rogerは役者経験もある Paul Williamsと出会い、作曲活動を開始、CMソングだった"We've Only Just Begun"が 70年に全米2位の大ヒットとなり、Carpentersには"Rainy Days and Mondays", "Let Me Be the One ", "I Won't Last a Day Without You"を提供、3曲とも大ヒットする。 彼は他にもThe Monkess, Three Dog Night, Paul Ankaなどにも歌われヒットもした。 作曲活動も順調に見えたが、Paulとは不仲の場も見られるようにもなり、コンビを 解消、その後も作曲するも成功することもなく、アルコール中毒にまで陥っていった。 暫くの間は沈黙が続いたが、80年代に日本でR.N.S.C.F.のCD化が話題となり、 名前を聞かれるようになった。95年にアルバムをリリース、2000年代に新作を リリースした時にはファンを喜ばせた。数年後は当時の未発表やデモを集めた コンピもリリースされ話題になった。R.I.P.
日本では過大評価となっている"R.Nichols & The Small Circle Of Friends"は 68年にリリースされるも全く売れず、日本で発売されることはなかった。 88年にCD化されたのが日本での初リリースとなる。それまではごく僅かの マニアしか知られていなかった。これがきっかけで日本ではソフトロックブームが 起こり、90年代にはこの作品が過大程度でよく知られるようになった。 2007年にリリースされた新作にはかつてのメンバー2人と一緒に録音し、 ファンを喜ばせた。海外では知名度もなかった無名の作曲家がこの日本で 話題となり、再評価されたことには音楽を愛する誇りの象徴だと言いたい。
60年代にThe McCoysを結成、"Hang On Sloopy"が1位を筆頭に"Fever","Come On, Let's Go"など ヒットを出すが、以降はチャートから遠ざかり、BANGからMERCURYへ移籍するも 1曲しかチャートに入れることができなかった。アルバムも成功せず69年には遂に解散する。
その後はJohnny & EdgerのWinter兄弟のギタリストに参加、72年にはEdgerの アルバムをプロデュース、Frankenstein"が全米1位の快挙。73年にはソロデビューし、 シングルカットされた"Rock and Roll, Hoochie Koo"は23位のヒットとなった。 この曲は彼の代表する曲の一つともなった。R.I.P.
60年代のガレージロックバンドThe Electric PrunesのリーダーJames Loweが 22日、82歳の高齢で死去。亡くなるまでオリジナルメンバー唯一の在籍者でもあった。 バンドは66年にデビュー、"I Had Too Much to Dream (Last Night)", "Get Me to the World on Time"の2曲がヒット、 その後は遠ざかり、5枚のアルバムを残して70年に解散。 99年に再結成、現在に至っていた。オリジナル最後の存命者だったが 彼の死でデビュー当時のメンバーは1人もいなくなった。R.I.P.
ファンク界の先駆者の1人でSly & The Family Stoneのリーダーでもあった Sly Stoneが9日、82歳の高齢で死去した。43年生まれ、60年代初めは本名の Sylvester StewartでDoo-WopグループThe Viscaynesに在籍するもヒットには至らず 直ぐに解散、その後は作曲やプロデュースで裏方活動に入る、AUTUMNではプロデュースを 手がけ、The Beau Brummels, Bobby Freeman, The Mo-Jo Men, The Great Sociaetyなどを 担当した。
この後Sly Stoneに改名、67年にSly & The Family Stoneを結成、 デビューするもアルバムは不発に終わったが、シングルでは"Dance to the Music"が全米8位の 大ヒット、"Everyday People"で初の全米1位を獲得する。ここから彼等の黄金時代が始まるのである。 "Hot Fun in the Summertime"が2位、"Thank You...", ""Family Affair"は共に1位、 "Stand!", "I Want to Take You Higher", などもヒット、アルバムでも "Stand!"を皮切りに"There's a Riot Goin' On", "Fresh", "Small Talk"などの 名盤をリリース大ヒットとなった。69年にはWOODSTOCKにも出演しヒット曲のメドレーで 観客を虜にさせ大反響にもなった。
70年代に入っては"Runnin' Away"や"If You Want Me to Stay"の ヒットも出たが以降はチャートから下降することに。ソロアルバムでも リリースするも成功せず、バンドも83年には解散、不遇の時代が晩年まで続くことに。 近年は闘病中でもあった。慢性閉塞性肺疾患でファンク界の大御所は82歳の生涯で幕を閉じた。R.I.P.
66年にMGMに移籍、"Lightnin' Strikes"で 初の全米1位を獲得、ここでは"Rhapsody in the Rain"のもう1つのヒットを残し、 COLUMBIAへ移籍するが、ヒットは1曲も出ないまま終わる。
68年BUDDAHへ移籍するもここでも初めはヒットは出なかったが、 69年に"I'm Gonna Make You Mine"が10位の大ヒット、 これが彼にとって最後の大ヒット曲であった。アメリカではヒットはしなかったが、 "She Sold Me Magic"が日本のみで7位の大ヒット。この曲で日本でも彼の名前が知られるようになった。 その後も数々のレーベルでアルバムやシングルを出すも泣かず飛ばず、 典型的な懐メロアーティストとして亡くなるまで現役で活動した。
裏声を巧みに使うのが上手いシンガーの1人で、白人の裏声を使うシンガーとしては The Four SeasonsのFrankie Valliと共に欠かせない重鎮の存在でもある。R.I.P.
6,70年代に活躍した俳優であり、POPシンガーのBobby Shermanが24日、 81歳で死去。43年生まれ、62年にレコードデビューするも泣かず飛ばずの 日々が続く。64年には音楽TV番組"Shindig!"のレギュラーとして出演する。 68年、METROMEDIAからリリースされた"Little Woman"が全米3位の大ヒットとなり、 "La La La (If I Had You)", "Easy Come, Easy Go", "Julie, Do Ya Love Me"などの ヒットを71年まで好調に出した。以降は下降して行き75年までシングルを出した。 日本でも一時人気があり、"想い出のヨコハマ(Oklahoma City Times)"なんてのも 日本独自でリリースされたこともあった。彼は遅咲きのアイドルシンガーでもあった。R.I.P.
37年生まれ、55年に"Freddy"でデビューしたがヒットせず、暫くは不遇の時期が 続いた。57年に"Who's Sorry Now"が全米4位の大ヒット、ここから彼女の栄光の時代が 訪れることになる。"Stupid Cupid", "My Happiness", "Lipstick on Your Collar", "Frankie","Among My Souvenirs"とヒットを好調に出す。60年に"Everybody's Somebody's Fool"が 初の全米1位。"My Heart Has a Mind of Its Own", "Don't Break the Heart That Loves You"の 2曲も全米1位となった。
60年代に入っても多くのヒットが誕生、"Where the Boys Are", "Second Hand Love", "Vacation", "I'm Gonna Be Warm This Winter", "Follow the Boys", "If My Pillow Could Talk", などは彼女の代表曲の数曲になる。そんなヒットを 好調出した彼女も64年になるとチャートから下降していくことになっていき、 "Looking For Love", "Don't Ever Leave Me"は大ヒットには至らず、65年以降は これが続くようになり、69年に91位となった"The Wedding Cake"が最後のヒット曲となった。
日本でも"Vacation", "Where The Boys Are", "Lipstick On Your Collar"は ヒット曲として知られているが、"Pretty Little Baby", "Someone Else's Boy", "Lollipop Lips", "Too Many Rules"などは日本だけのヒット曲。 これらは数人の日本の歌手のカヴァーされ、こっちのほうで知った人も多い。 こう見るとアメリカと日本のヒットを比べると違うのも解る。
Connie Francisは英語だけでなく、日本を含む各国の言語で歌っているし、音楽も POPSだけでなく、JAZZ, HAWAIIAN, C & W, SOUNDTRACK, MUSICALなど 幅広いジャンルも歌っている。
"The Way We Were"の作曲者Alan Bergmanが17日に死去。99歳の高齢だった。 夫婦ソングライターAlan and Marilyn Bergmanで数々の作曲を手がけ、なかでも "Yellow Bird"はArthur Lyman, "The Windmills of Your Mind"(作詞)はNoel Harrison, Dusty Springfield, "The Way We Were"はBarbra Streisand等によって有名になった。
他のカヴァーを見ると"Yellow Bird"はThe Brothers Four, The Ventures, "The Windmills of Your Mind"はJimmie Rodgers, Jose Feliciano, "The Way We Were"はAndy Williams, Freda Payne, Gladys Knight & the Pips になる。 R.I.P.
58年の全米1位曲"At the Hop"の大ヒットで知られている。 ホワイトDoo-WopグループのDanny & the Juniorsのオリジナルとして 唯一の存命者だったFrank Maffeiが19日, 85歳の高齢で死去。 他のメンバーはリーダーだったDanny Rappは83年に自殺、Dave WhiteとJoe Terranovaは 2019年に亡くなっている。 グループは他にも"Rock and Roll Is Here to Stay", "Twistin' U.S.A."を ヒットさせ60年代以降はヒットも出なくなり、以降は2019年まで懐メログループとして 活動していた。R.I.P.
JAZZトランペット、フリュゲルホーン奏者のChuck Mangioneが22日、 84歳の高齢で死去。40年生まれ、60年に兄のGapとMangione Bros.を結成、 "The Jazz Brothers"など数枚のアルバムを出した。65年にArt Blakeyの JAZZ Messengersに参加、66年のLIVE"Buttercorn Lady"は名演を披露、 名を上げた。その後トランペットからフリュゲルホーンに替え独立。 スタイルもJAZZからフュージョンの方向へと進んだ。70年代に入ると、 ヒット数曲が有名になり、日本でもJAZZ以外の音楽ファンにも親しまれた。R.I.P.
テックスメックスの重鎮Doug Shamのアルバムにゲストで参加、 Bob Dylan, Dr, John, Ry Cooder等の大物ミュージシャンとも 共演し、親交もあったアコーディオン奏者のFlaco Jiménezが先月31日、 86歳の高齢で死去。73年のDoug Sahm and BandにはFlacoの他にも B.Dylan, Dr. Johnも参加しているのはファンには有名。R.I.P.
イギリスのROCKシンガー、Terry Reidが4日、75歳で死去。 初めはPeter Jay and the Jaywalkersに在籍、その後解散し、 The YardbirdsにいたJimmy Pageからスカウトされるも、申し出を断り、 他のバンドにいたRobert Plantが採用され、The Yardbirdsは バンド名もLed Zeppelinになる。Deep Purpleからも同じ声がかかったが、 これも断った。68,9年にはソロアルバムも出すも成功せずに終わっている。 70年代以降も数枚出したが何の話題にもならなかった。
60年代のポップロックバンドGary Lewis & The Playboysの オリジナルメンバーJohn Westが今年2月、85歳の高齢で死去。 64年の結成から解散の70年まで在籍した。バンドは俳優Jerry Lewisの息子 Gary Lewisを中心とし、65年に"This Diamond Ring"の1位を筆頭に、 幾つかの曲をチャートに入れた。R.I.P.
60年代の白人Doo-WopグループThe Castellsのメンバーだった Chuck Girardが11日、81歳の高齢で死去。 The Castells時代には"Sacred", "So This Is Love"の2曲がヒットするも、 その後はヒットも出ず不遇の時期が訪れる だが、64年にGary Usherのプロジェクトの 1つThe Hondellsのレコーヂングに参加、ここで担当した"Little Honda"は全米9位の 大ヒットとなった。だが次の"My Buddy Seat"は87位で終わった。The Hondells以外も、 The Super Stocks, The Knights, The Devonsなどにも参加した。
Jimi Hendrixがプロデュースしたことで知られるアメリカのロックバンド Cat Mother & the All Night NewsboysのドラマーだったMichael Equineが 25日、死去。バンドは有名なR & Rナンバーをメドレーに仕上げた"Good Old Rock 'n' Roll"を 69年全米21位にヒットさせ,他はカヴァー曲3曲をチャートに入れた。バンドは77年まで続いた。 "Good Old..."はイギリスではThe Dave Clark Fiveによってカヴァーされ、7位の大ヒットとなった。R.I.P.
60年代初期から音楽活動をやっていたが、シングルは泣かず飛ばず、Teddy Randazzoと 共作した"Hurt So Bad"がLittle Anthony and the Imperialsによって歌われ、 これがヒット、この時にTommy Boyceと出会い、2人で書いた"Come A Little Bit Closer"は Jay & The Americansによって大ヒットした。66年にThe Monkeesのデビュー曲、 "Last Train to Clarksville"がリリースされ、The Monkeesにとっても、彼等にとっても これが初の全米1位となった。他のThe Monkeesの作品にも彼らが書いたヒット曲も幾つかはある。
翌年に2人は、T.Boyce & B. Hartのデュオ名義で"Out & About"をリリース、最高位39位に終わったが、 "I Wonder What She's Doing Tonight"が全米8位の大ヒット、"Alice Long (You're Still My Favorite Girlfriend)"も 27位に入ったがヒットもここまでだった。彼等は3枚のアルバムをA & Mから出していた。
Sonnyはソングライターでもあり、"Walk Right Back"(The Everly Brothers), "More Than I Can Say"(Bobby Vee), "The Straight Life"(Bobby Goldsboro) などがあるが、なかでも有名なのは"I Fought the Law"だろう。The Cricketsの オリジナルはヒットしなかったが、65年にガレージバンドThe Bobby Fuller Fourが カヴァー、全米9位の大ヒットとなり有名になった。 この曲はR & Rのクラシックナンバーとして以後もカヴァーで歌われるようになった。 ソロとしてはインストアルバムも含め7,8枚もリリースしている。 このようにSonnyはThe Cricketsには欠かせない功労者でもあったのだ。R.I.P.
4,50年代の女性ヴォーカルグループThe Chordettesのメンバーで 最後の存命者でもあったMargie Needhamが先月22日、96歳の高齢で死去。 グループは46年結成、50年代に"Mr. Sandman", "Born to Be with You", "Lollipop"などで知られ、故人は後から加入したほうで前者2曲時のメンバーでもあった。 これでThe Chordettesの存命者は1人もいなくなった。R.I.P.
50年代の黒人Doo-WopグループThe Flamingosの全盛期のメンバーだった Terry "Buzzy" Johnsonが8日、86歳の高齢で死去。オリジナルではないが 全盛期の頃のメンバーとしては唯一の存命者であった。 The Flamingosは"I'll Be Home"や"I Only Have Eyes for You"で有名。R.I.P.
The Associationの"Never My Love", "Time for Livin"を書き、自らも 50年代から数枚のシングルリリースやアルバムも数枚リリースした ソングライターチームThe Addrisi BrothersのDick Addrisiが14日、 84歳の高齢で死去。相方で兄貴のDonald Addrisiは1984年に死去している。R.I.P.
70年代期のGrateful Deadのメンバーでもあり唯一の女性ヴォーカリストの Donna Jean Godchauxが2日、がんのため78歳で死去。 60年代にはPercy Sledge, Elvis Presleyのレコーディングのバックコーラスに 参加経験もあった持ち主。72年から79年までG.Deadに在籍していた。 この時期のDeadのメンバーKeith Godchauxは夫で2人は夫婦でもあり、75年には 夫婦デュオでアルバムも発表するが、80年に夫のKeithが32歳の若さで事故死、 死別する。Donnaはその後も音楽活動を行い、近年まで活躍した。
ジャマイカのレゲエの大御所、Jimmy Cliffが24日、84歳の高齢で死去。 62年に現地ジャマイカでデビュー、65年に渡英し、87年に初のソロアルバムを リリース、69年の"Wonderful World, Beautiful People"が初の全英6位の 大ヒットとなった。翌年にはCat Stevensのカヴァー"Wild World"が 全英8位の大ヒットとなった。72年にはサントラ"The Harder They Come"に参加。 これが彼の代表アルバムになったのは言うまでもないが、チャートインせず セールス的には不発に終わった。80年代にはグラミー賞も受賞、90年代には Johnny Nashのカヴァー"I Can See Clearly Now"が久しぶりの大ヒットとなった。 Bob Marleyと共にレゲエ界には欠かせない立役者で重要人物。R.I.P.
伝説のSOUL系インストバンドBooker T. & The MG'sのギタリストSteve Cropperが、 3日、84歳の高齢で死去。バンドの存命はリーダーのBooker T. Jonesのみになった。
60年代にバンドを結成し、名をThe Mar-Keysと変え61年に"Last Night"が全米3位の大ヒット。 バンドにはDonald Duck DanやDon Nixなどもいた。 61年にThe Mar-keysを脱退、 62年にBooker T. Jones等とBooker T. & The MG'sを結成、"Green Onions"が 全米3位の大ヒットとなり、64年にオリジナルメンバーのベース担当が脱退したのをきっかけに Donaldが加入し、4人最強の面子となり、SOULインストを代表するバンドの1つにもなった。 "Green..."以後も"Hip Hug-Her", "Soul Limbo", "Hang 'Em High", "Time Is Tight" などがヒット、SOUL系のアーティストのバックも担当、なかでもO.Redding, W. Pickett, Sam & Dave, Eddie Floyd, Albert Kingなどは有名。
バンドは71年に解散したが、 73年に再結成している。脱退後は有名アーティスト等の救援でも活躍、ソロも数枚リリースし、 77年にツアーメンバーとしても来日、日本のアーティストとも交流があった。 また彼はOtisと" (Sittin' on) The Dock of the Bay"を共作, W. Pickettの "In The Midnight Hour", Eddie Floydの"Knock On Wood"を作曲している。
70年代のU.K.ロックバンドFREE, Facesに在籍していた 日本人ベーシスト山内テツが4日、心不全の為79歳で死去。 68年に音楽活動を開始、当初はマイク真木, ミッキーカーチスの バンドに所属、後に海外遠征し、71年に初来日したFREEのメンバーと 出会い渡英,72年に脱退したベースのAndy Fraserの後釜としてFREEに参加。 彼が書いた"Wishing Well"は全英7位の大ヒットとなりツアーにも 参加するも、FREEは解散、73年にはRonnie Lane脱退後のFacesに加入、 "You Can Make Me Dance, Sing Or Anything"が全英12位、初来日には メンバーとして来日した。75年にFacesは解散、その後は帰国し、 音楽活動を亡くなるまで続けた。
実験的カルトサイケバンドThe United States of Americaのリーダー Joseph Byrdが11月2日87歳の高齢で死去。 バンドは68年にColumbiaから唯一のアルバムをリリース、実験的な サウンドが特徴で画期的だったが売れることはなく、バンドも直ぐに解散した。 現在このアルバムはカルトなサイケファンには評価が高い。R.I.P.
60年代初期のヴォーカルグループDanté and The Evergreensの リーダーDanteことDonald Drowtyが先月の28日に死去。 グループは60年に"Alley Oop"を全米15位に大ヒットさせたが、同じ 競作のThe Hollywood Argyles'のほうは全米1位となり、知名度も The Hollywood...のほうで知られるようになった。 グループは"Time Machine"を73位にチャートに載せただけで61年に解散。 Danteはソロでも活動するが陽の目を見る事はなかった。R.I.P.
5,60年代の黒人女性R & BグループThe Cookiesのメンバーだった Margaret Rossが23日、83歳の高齢で死去。グループは61年に加入、 "Chains", "Don't Say Nothin' Bad (About My Baby)"がヒット、 以降2曲をチャート入りにし、67年に解散した。 "Chains"はThe Beatlesがカヴァー、知名度はこっちのほうが上になっている。 R.I.P.
日本でも大人気だった70年代のROCKバンドThree Dog Nightの メインヴォーカルの1人、Chuck Negronが2日、83歳の高齢で死去。 晩年は闘病生活が続いていた。42年生まれ、67年にDanny Hutton, Cory Wells等とThree Dog Nightを結成、68年に"Try a Little Tenderness"が 29位の初ヒット、翌年の"One"が5位、70年の"Mama Told Me Not to Come"で 初の1位を獲得、71年に"Joy to the World"が1位、彼等の代表曲になった。 その後も"An Old Fashioned Love Song"が4位、"Black and White"も1位と 立て続けににヒット、これが74年の4位の"The Show Must Go On"まで続く、 ヒットの好調が下降になり76年に解散するが、81年に再結成し現在も存続している。 日本でも物凄く人気があったので来日は武道館でもLIVEを行ったほどだ。 2015年にメインのCory Wellsが死去, Chuckも逝き、メインの存命は Danny Huttonのみになったしまった。彼は現在もバンドに在籍し活動中である。 R.I.P.
6,70年代の黒人ヴォーカルグループThe Fifth Dimesionの オリジナルメンバーだったLamonte McLemoreが3日に死去。 90歳の高齢だった。65年に黒人男女混合のThe Versatilesは 後にThe Fifth Dimensionと改名。67年デビューし、 "Up – Up and Away", "Aquarius/Let the Sunshine In", "Wedding Bell Blues", "One Less Bell to Answer"など1位曲含む数多くのヒットを出した。 75年にオリジナルのMarilyn McCooとBilly Davis Jr.は脱退するが、 グループはオリジナルのFlorence LaRueを中心に現在も存続中。 2001年にオリジナルだったRon Townsonが死去している。R.I.P.
イギリスの60年代のビートバンドFreddie & The Dreamersの メンバーでギタリストだったRoy Crewdsonが去年3月13日に死去していた。 41年生まれだったので83歳の高齢になる。 62年結成からのオリジナルで71年まで在籍。 バンドは"If You Gotta Make a Fool of Somebody"を全英3位、 "I'm Telling You Now"を全米1位を筆頭に数曲のヒットを残した。 リーダーだったFreddie Garrityは2006年に死去。他のメンバーも 当人以外の2人が物故者となっている。 R.I.P.
60年代のイギリスのサイケポップバンド、The Honeybusの メンバーだったPete Delloが22日、83歳の高齢で死去。 The Honeybusはヒットが"I Can't Let Maggie Go"が68年全英8位だけの 一発屋のバンド、解散後はPete Dello And Friendsで活動した。R.I.P.
70年代のディスコバンドDisco-Tex and the Sex-O-Lettesの メンバーMonti Rock IIIが23日、86歳の高齢で死去。 バンドは74年に"Get Dancin'"を全米10位の大ヒットさせ、 翌年には"I Wanna Dance Wit' Choo (Doo Dat Dance)"も23位のヒットとなった。 これらのプロデュースを担当したのはBob Creweだった。 この2曲の後はヒットも出ないままチャートから消えた。R.I.P.
幼い頃からピアノを習い、近所には後のソングライターパートナーとなる Howard Greenfieldと出会う。音楽の名門ジュリアード音楽院を卒業、 この時はThe Tokensにも在籍、シングルでヴォーカルも歌ったが不発。その後脱退する。 2人のコンビで作曲活動、57年にDECCAから"Snowtime"でデビューするが失敗に終わる。 2枚目も不発に終わる。58年に書いた"Stupid Cupid"がConnie Francisによって 歌われこれがヒットする。レーベルもRCAに移籍し、3枚目のシングル"Diary"で 59年全米19位となりこれが初ヒット、彼の黄金時代が訪れることになる。 同じ年に"Oh! Carol"が初のtop 10入りで9位の快挙。 "Stairway to Heaven", "Calendar Girl", "Little Devil","Happy Birthday Sweet Sixteen", などが好調に大ヒット、62年に "Breaking Up Is Hard to Do"が初の1位、 "Next Door to an Angel"も5位の大ヒットした。63年には"Alice in Wonderland", "Let's Go Steady Again", "The Dreamer", "Bad Girl"と好調にヒットを放つが top 10入りにはならなかった。彼の全盛期も64年なるとThe Beatlesの出現で 数曲のヒットも低チャートで終わってしまう。65年には2曲とも低チャートで終わり、 66年には"We Can Make It If We Try"が121位に入っただけでとうとう長い間 在籍したRCAを去ることになる。作曲家として他のアーティスト達に曲を提供するも、 ヒットが出ることはなかった。69年にThe Fifth Dimensionがヒットを出すまでは 暫くこの状態が続く。この時期は欧米でも時代遅れ扱いされたがオーストラリアでは 人気が根強くLIVE活動も行った。このように彼の60年代は終わりを告げることになる。
70年代に入るとSSW路線で歩むも世間の目は冷たく、72年には "That's When the Music Takes Me"が27位に入っただけ。この時の バックバンドは後の10 CCの連中だった。74年に"Laughter in the Rain"で カムバックこれが1位となる。75年には"Bad Blood"がカムバック2度目の1位、 これが最後の1位曲となる。62年の1位曲をスローで歌い直したヴァージョンも 8位、数曲も順調にヒットしたもののカムバック期でも長く続くことが出来ず、 77年44位の"Amarillo"でソロでのヒットは出なくなる。80年に娘のDaraとの デュエット"Should've Never Let You Go"で19位。Neilの本当での最後の ヒットなった。以降もアルバムを出し続けるなど音楽活動を行った。
過去のヒットに"Stairway to Heaven"はあるが、今月の27日に それが事実となってしまった。POPS界の功労者で大御所でも あったので彼の業績は物凄く大きい。 彼の遺した作品は後世に受け継がれるだろう。R.I.P. 、
Neil Sedakaは日本でも大変馴染みが深いアーティストの1人。 英語の歌詞が解らない日本人にも耳に残るメロディで 親しませた功績は大きいものだ。 "One Way Ticket","Going Home to Mary Lou","Superbird"なんかは 日本の独自のヒット。彼の音楽は日本のアーティストにも影響を受け、 アニメの主題歌の作曲も行っているなど様々、1960年の初来日を機に 何度かの来日もあった。Elvis, P. Anakaと共にOLDIES御三家の1人でもあり、 才人でもあるし、環境に恵まれた人物でもある。
WHITE BLUESシンガー-のJohn P. Hammond(Jr.)が先月28日、83歳の高齢で死去。 父親はJAZZ評論家でもあり、JAZZ, ROCK POPS, R&Bなどのアーティストを発掘、 COLUMBIAの功労者でも合ったJohn Hammond(1910〜1987) 63年にVANGUARDからデビュー、2000年代に入っても音楽活動を続けた。 73年の"Triumvirate"にはMike BloomfieldやDr. Johnと共演で有名。R.I.P.
プロデューサー、シンガーソングライターのTom Bahlerが2日、82歳の高齢で死去。 60年代にはThe Love GenerationのJohn Ballerと兄弟メンバーとして在籍。 3枚のアルバムを残す。同時期にJAZZギタリストGabor Szaboの覆面グループ The California Dreamersにも参加した。その後はThe Going Thingで活動、 作曲家でもあった彼は"Julie, Do Ya Love Me"をBobby Shermanが歌って ヒット、70年代になるとThe Partridge Familyのアレンジを手がけるなど 裏方で活動するのが多くなり、Michael JacksonやKaren Carpenterまで 彼の作曲を歌うこともあった。他にも有名アーティストの共演が多い才人でもあった。 R.I.P.
62年の全米1位曲"Peppermint Twist"で有名なJoey Dee and the Starlitersの メンバーでThe Young RascalsのEddie Brigatiの兄貴でもあるDavid Brigatiが 7日、85歳の高齢で死去。The Young Rascalsの "Finale: Once Upon a Dream"では ヴォーカルを担当。正式ではないが5人目のThe Young Rascalsの メンバーとも言われたこともあった。R.I.P.
テックスメックスの重鎮バンドThe Sir Douglas Quintetの オルガン、キーボード奏者のAugie Meyersが7日、85歳の高齢で死去。 バンドは"She's About a Mover", "Mendocino"のヒットで有名。 Sir Douglas Quintet以降もDoug Sahmと共に活動、99年にDoug Sahmが 死去、以後も音楽活動を続けた。R.I.P.
60年代のサイケロックバンドCountry Joe & The Fishのリーダーで SSWのCountry Joe McDonaldが7日、84歳の高齢で死去。近年はパーキンソン病を 患っていた。
42年生まれ、65年にCountry Joe & The Fishを結成、67年に VANGUARDからアルバムデビュー、フォークロック、サイケロックを基に 風刺的な歌詞が特徴のバンドでもあった。Chuck Berryの有名曲をもじった "Rock and Soul Music"やコミカルな風刺の "I-Feel-Like-I'm-Fixin'-to-Die"は69年のウッドストックでも演奏、 Madonaldはこの時、ソロの部の冒頭での"F-I-S-H"を"F-U-C-K"に替えた このパフォーマンスは伝説としてあまりにも有名。
バンドは70年に解散するも、解散寸前からソロとしても活動、 69年の"Thinking of Woody Guthrie"はファンに有名な作品である。 バンドは77年、2004〜06年に再結成した。 R.I.P.
SSWのChip Taylorが23日、86才の高齢で死去。 58年にデビュー、作曲活動もするが泣かず飛ばずの連続だった。 66年にギタリストのAl GorgoniとフォークデュオJust Usを結成、 "I Can't Grow Peaches on a Cherry Tree"はヒットしたが全米34位に終わった。 この年の快挙は何と言ってもThe Troggsによる"Wild Thing"だろう。 chipの自作曲でこれが全米1位英2位でThe Troggsや彼の出世作にもなった。 (オリジナルはアメリカのガレージバンドThe Wild Ones) Chipは他にも"I Can't Let Go"(The Hollies), "I Can Make It With You"(The Pozo Seco Singers) "Any Way That You Want Me"(The Troggs) "Step Out of Your Mind" (The American Breed) "Julie" (Bobby Fuller Four) etc.. 68年には "Angel of the Morning"がMerrilee Rushの歌で7位の大ヒット、 70年代に入ってはGorgoniとT.martinの3人でGorgoni, Martin & Taylorを結成、 2枚のアルバムを出すも成功には至らず、72年には初のソロを出すが、これも 売れることはなかった。75年にC & Wチャートで"Early Sunday Morning"が41位、 これがこれ最大のヒットとなった。79年まで出し続けるが暫くは休業状態、 96年に活動を再開、去年の新作が存命最後のアルバムだった。
70年代のデュオSeals & CroftsのDash Croftsが14日、87歳の高齢で死去。 相方のJim Sealsは2022年に79歳で死去している。 2人はデュオ結成前は"Tequila"のインストヒットで有名なThe Champsに在籍、 幾つかの曲がチャートインするも低いほうで終わっている。やがてバンドは解散、 作曲活動し、他者に提供するもこれも泣かず飛ばず、69年にSeals & Crofts名義で 再デビュー、デビューアルバムは売れず不遇の時代が続く、72年に"Summer Breeze"が 6位の大ヒット、これで彼等は世間から知られ、"Hummingbird", "Diamond Girl", "We May Never Pass This Way (Again)", "I'll Play for You"と立て続けにヒット、 75年以後も"Get Closer", "You're the Love"を大ヒットさせた。
代表曲"Summer Breeze"は74年にThe Isley Bros.にカヴァーされ R & B(SOUL)チャートで10位にもなった。この曲は日本でもヒットしている。
The Beach Boysのハーモニーに影響を受け、自分もそのスタイルで 幾つかのグループやセッションシンガーとして活躍したイギリスの ポップ職人の1人でもあったTony Riversが30日に死去。85歳の高齢だった。
40年生まれ、初めはTony Rivers and the Castawaysの名前で活動、 The Beach Boysの"God Only Knows"を66年全英46位をカヴァーヒットさせたが、 それ以外のシングルは全て不発、名前をHarmony Grassに改名、レーベルもRCAに 移籍し、"Move in a Little Closer, Baby"を69年全英24位をヒットさせた。 ヒット以後数枚シングル出すもヒットはぜずグループは解散への道を辿る。
永遠の名曲"Be My Baby"で御馴染み女性ヴォーカルグループ The Ronettesのメンバーで最後の生存者でもあったNedra Talleyが26日、 80歳の高齢で死去した。これによって3人全員鬼籍入りしたことになる。 59年にいとこにあたるVeronicaとEstelleの姉妹と結成、61年にレコード デビューするがヒットが出ずの状態。その後Estelleがダメ元で Phil Spectorに連絡、後にSpectorは承諾し、Phillesと契約、最初のシングル "Be My Baby"は63年全米2位、全英4位の大ヒットとなり、彼女達の代表曲になった。 その後も"Baby, I Love You", "Do I Love You?", "Walking in the Rain"など ヒットを出すが、65年になるとヒットはがた落ち、67年に解散、70年代に入って 復活するも話題にもならずに終わった。2004年に殿堂入りを果たし3人は参加、 Estelleは既に芸能界から引退していたのでステージには上がらなかった。 Estelleは2009年に死去。Veronicaは全盛期にP.Spectorと結婚、Ronnie Spectorの 名前で活動するもSpectorとは73年に離婚し、地道にソロ活動したが、癌に冒され、 2022年に78年の生涯を閉じた。残ったNedraも今回、80年の生涯を閉じることとなる。 代表曲"Be My Baby"は不朽の名曲としてこれからも語りつがれるだろう。R.I.P.
60年代の黒人男女ヴォーカルグループ、The Excitersの女性メンバーの1人、 Brenda Reidが先月29日、80歳で死去。男性メンバーの1人Herb Rooneyは 彼女の夫だったが1991年に死別している。 The Excitersは62年に"Tell Him"が4位の大ヒット、代表曲の1つになった。 だがそれ以後は"He's Got the Power", "A Little Bit of Soap"がチャートインするも 50位台にしか入らず、数曲は70位以下で終わった。 その後は解散し、夫婦でデュオ活動をやっていた。R.I.P.