そしてそのことが外国の侵略的野心を否定する論拠になっている。日本が弱いからと行ってそれに乗じて日本に侵略する国は世界の道理に背くものだから、それに対する戦いは筋の立った義戦であり、 必ずや日本に味方する国が現れてくるであろうと主張する。道理を守るものは他より動かしようもないのだから。福沢のこういった国際社会における正義へのオプティミズムは、後年の福沢の著作と対照をなしていると丸山は書く。 明治五年の「学問のすゝめ」では「唐人往来」では断片的だった論が整理され「天は人の上に人を造らず」という本書を貫く姿勢が示されるようになった。自然法的発想は全面的な展開を遂げた。 (まあこのスレで以下は説明不要かもしれんが)ウェイランドの「モラル・サイエンス("The Elements of Moral Science"のことか?)」に依拠した本書では個人と一国がパラレルに語られる。 "Equality"(平等)と"Reciprocity"(相互性)という同一の原理で貫徹されている。二編で「人は同等なる事」三編で「国は同等なる事」とし、両者の命題は「一身独立して一国独立す」という有名な命題で結ばれることになる。 国家平等の理は詰まるところ、人間平等の理を拡大したものに他ならないのである。国とは人が集まった物であって、一人が一人に害を加えるの理がないとすると二人が二人に害を加えるの理もない。 百万人集まろうが千万人集まろうが同じ事であって、物事の道理とは人物の多少によって変わるものではないよ、と。 その際の平等っていうのは物資、軍事力などの事実上の平等を言うのではなしに、権利の平等、すなわち基本的人権に基づく平等を意味するし、国家の場合でも基本的国権の平等を意味するのだよと。